今、あえて結婚しない女子たちが増えている。平野香奈絵さんに結婚について聞いてもはっきり答えがなく、関心もない様子。彼女はエリート営業職に就いていたが、1か月前にあっさりベンチャー企業へ転職。性別でのククリのイメージは遅い気がすると話した。初婚年齢は29歳。さらに、未婚率も過去最高。しかし、平野さんは結婚式の願望や、結婚後は夫を支えたいと考えていた。ところが現実には、専業主婦になってほしいと思っている男性は年々減少している。実際の共働き夫婦の家事や子育てはほとんどが女性だけが行なっている。平野さんは、母親が家事・子育て・仕事をしているのを見ると結婚はまだしたくないと思うと話した。
佐川裕子さんは付き合って1年になる彼氏から結婚をほのめかされることもあるが、仕事が波に乗ってきたので今が結婚のタイミングではないと話す。結婚をしない理由に、結婚=子供と言い切った。女性誌の結婚特集で、結婚することのメリットの1位が子供や家族を持てる。仕事と育児の両立はできないと話す佐川さんは、誰かに求められる実感は仕事が与えてくれると話した。
インターネット上には「結婚する気はありませーん」というコミュニティに書き込みをしている女性を取材。交際歴1年半の彼氏がいる竹田由紀さんは、自分で稼いでいた方が安心と話した。
佐川さんのネイルサロンに平野さんが来店。ネイル中にする話題は、恋愛話とワンセットの結婚しないわけになっていた。結婚は自分をあきらめた時と2人は話し、せめてその時まで自分の可能性を確かめたいという。
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義務を強く意識しているのだろうか。
人が働くことは義務である。義務を果たせば充実感も得られるだろう。働いているとは職業があるということである。では作家や画家、それは職業なのだろうか。作家や画家にとって、書くこと(描くこと)は業である。業とは仏教用語だが、簡単にいえば、その人が止めるに止められない行為だとされている。作家や画家にとって書くこと(描くこと)は止めるに止められない行為であるから業だが、職ではない。それが職だとすれば、書くこと(描くこと)は半強制的な行為でしかなくなるからだ。しかし、この場合、その作家や画家は社会的義務を果たしているとされる。
作家や画家は業を行っているが、それを職とはしていない。だから作家や画家が無職である。そのため失職はない。一方、業が人間から無くなることはいない。業を失う人はいないわけだから、失業という言葉は本来成り立たないはずである。もっとも「業を行っていたが、それでは飯を食えないので職をさがすよ」といった形で業を失うといった心理状態になる人はいる。
それは、ちょうど「結婚は自分をあきらめた時」とする結婚しない女子の心理状態でもあるようだ。彼女らは恋愛=業、結婚=職と捉えているのかも知れない。
結婚・子供、家事・子育ても義務だとされてきた。結婚=職として、社会的義務を果たしているとされる。充実感も得られる。そうした人達にとって、義務も果たさず、充実感も得ていない人は、不幸だと認識されても、それはある意味当たり前のことかも知れない。以前は片輪とまで言われ、蔑まされた。それは、結婚・子供、家事・子育てが、物凄い社会的圧力であったことを示すものだろう。今は緩くなったのかも知れないが、社会的圧力は健在のようである。だからこそ、その圧力に対して
「結婚する気はありませーん」と言ってしまうのかも知れない。