猛暑に見舞われた今月中旬、噴き出す汗をハンカチでふきながら、黒いスーツにネクタイ姿で都心のオフィス街を回る40代の元コナミ社員の姿があった。
昨年末まで1年8カ月間、自宅にこもりっきりの生活だった。体調が回復し、今年1月から再就職活動を始めたが、焦りばかりがつのる。「『ブランク』がネックになっているのだろうか」
面接にこぎつけても、「2年ほど経歴がないけれど、この間は何をしていたのか」と聞かれ、気まずくなることがしばしばある。「採用が決まっても、働き始めたらまた病気が再発するのではないか」。自分自身も不安が残ったままだ。
コナミグループの中核会社でゲームソフトの開発をしていたが、2010年末、「キャリア開発センター」(現キャリア開発課)への異動を上司から突然、言われた。
その後、人事担当者からの説明にさらにショックを受けた。異動先の職場が社内にあるのでなく、自宅で職探しをするのだという。「社内の仕事を探すなら、見つかるまでパチスロ工場の応援に行ってもらう。社外の仕事を探すなら、期間3カ月の契約社員で。ただし契約延長はありません」
会社に残りたい一心で「パチスロ工場行き」を選んだが、仕事は中古パチスロ台の解体だった。電動ドライバーでひたすら部品を取り外す作業を続けた。そこは社員たちが「追い出し部屋」と呼ぶ部署だった。「何でこんなことをやっているのだろう」。夜、眠れなくなり、朝も激しい頭痛に襲われた。欠勤がちになり、働き始めて約3週間後、「適応障害」と診断された。「配置転換が必要」と書かれた診断書を会社に出したが、受け入れられなかった。「もう終わりにしたい」と11年春、人事担当者に伝えて退職した。
いまもコナミの「追い出し部屋」にいる社員の中にも、心を病む人がいる。
ゲームソフトの開発をしてきた中年の男性社員は、毎朝起きると強い吐き気に襲われ、トイレに駆け込む。気分が落ち込み、やる気が起きない。「うつ病」と診断され、会社からは自宅待機を命じられている。唯一の仕事は、毎日、何をしているかを報告することだが、とくに報告する活動もなく、給料は3割近く下げられた。「結局、こうしてみんな、会社を辞めざるを得ないようにさせられるのか」
コナミは1969年の創業で、80年代に家庭用ゲーム機のソフト事業に参入してから急成長した。ゲームソフト開発に若い社員を活用する独特の社風があり、中高年にさしかかった開発者たちは「使えないと判断された人は退職を迫られる」と、ある社員は話す。
こうした点について、コナミ広報は「キャリア開発課があるかどうかも含め、社内体制についてはコメントしない」としている。
グローバル競争が激しさを増し、企業は生き残りをかけて人減らしに走る。追いつめられた働き手らが自殺に追い込まれたり、うつ病になったりすることでの「社会的損失」は、年間で約2・7兆円になるとの試算もある。
09年までの10年間、うつなどによる自殺者数は年平均約3・1万人にのぼるが、「それがまったくいなかったと仮定すると、10年の国内総生産は約1・7兆円増えていた」と国立社会保障・人口問題研究所の金子能宏(よしひろ)氏はいう。「リストラ社会」の働き手たちが失ったものは、仕事や健康だけではない。朝日生命の40代の元社員は「追い出し部屋」行きを迫られた末に家族を失った。
西日本の支社で営業担当だったが、11年の冬、支社長から呼び出された。希望退職募集に応じるか、「自分で社外の出向先をみつける」という「企業開拓チーム」に入るかを迫られた。その後も面談のたびに「土地勘のない地方に異動してもらうことになる。そこで転勤できない職種に降格させる」「早く転職支援会社に電話を」と言われた。「つらさを吐き出す場所が欲しかったが、家しかなかった」。帰宅すると、上司への不満をぐちり、面談を思い出しては取り乱した。耐えきれなくなった妻は、3歳の子供を連れて家を出た。家庭を失い、会社にも居場所がなくなり、退職を選ぶしかなかった。いまもうつ病の薬を手放せない。
「何とか働かないと」と思っている。だが、仕事のことを考えると、退職を迫られた面談の記憶がよみがえり、動悸が激しくなる。
朝日生命は90年代後半の日本の金融危機以降、断続的に人減らしを続けた。11年末には40代以上の管理職が多すぎるとして希望退職を募ることを決め、この男性も対象になった。社員たちが「追い出し部屋」などと呼ぶ「企業開拓チーム」は今春、廃止されたが、人減らしの過程で心身ともに傷ついた社員がいたことについて、朝日生命は「これまでの希望退職は、みな自主的な判断で応じたもので、体調を悪くした事例は承知していない」としている。
関門海峡を望む北九州市内のマンション。深夜、太平洋セメントの元社員は、錠剤を口に入れるとコップの水とともに飲み込んだ。朝2錠、昼2錠、そして寝る前には5錠。退職して数年たつが、「追い出し部屋」のことが頭から離れず、薬に頼る生活が続く。 「退職勧奨」を断り、転職支援の人材会社への「出向」を言われたのは、60歳の定年まで3年という時だった。社宅から通える都内の支店に配属されたが、2カ月後に福岡支店の勤務に。小部屋で外出がちの支店長と2人だけ。仕事は求人雑誌の切り貼りだった。「お客さんは年に数人。じっといると、刑務所に入れられたようで気持ちがおかしくなりそうだった」。転勤して5カ月が経つころうつ病と診断された。福岡市内の別の人材会社に「出向」になったが、そこでも同じ仕事だった。
定年まで頑張ったが、最後の3年間は1年おきに「追い出し部屋」をたらい回しされ、入退院を繰り返した。「一生懸命働いてきたから余計にこたえた。うつはきまじめな人がなりやすいと医者には言われたけれど。人間は弱いものだ」
入社は高度成長時代。販売先を開拓し、実績をあげた自負があった。だが、公共事業が抑制される時代に変わり、業界も再編され、社内で人が余り始めた。 「グループ内ではやってもらう仕事はみつからなかったから、グループ外で頑張っていただこうということ。うつ病も業務が原因だったとは認識していない」と太平洋セメントはいう。
福岡への「転勤」のときに、妻には「一緒にはいけない」と言われ、家庭もばらばらになった。もともと「定年後は生まれ育った九州で」と思ってはいたという。退職金で買ったマンションがサラリーマン人生のたった一つの「形見」だ。
「でも一人で住むには3DKは広すぎて。こんな形で地元に戻ってくるとは思ってもいなかった」
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日本では正社員の解雇は難しい。そこで追い出し部屋などが設けられ、自主退職を促しているのだろう。そこでカネを払えば不当解雇でも合法化される「解雇の金銭解決」など労働法制の規制緩和が実現すれば、追い出し部屋は自然消滅するのではないのか。
雇用の規制緩和をめぐっては、安倍内閣は大企業支援の「成長戦略」として、解雇自由の「限定正社員」、残業代ゼロの「裁量労働の拡大」、非正規雇用増大の「派遣労働の拡大」などをねらわれているが理解し難い発想だ。
日本には社会に上下契約の概念がない。あるのは対等契約・保護契約・履行契約だから、このみっつの契約概念で労働者は資本家と対峙しなけれなならず、この場合終身雇用を前提とするはずである。もし、解雇自由の「限定正社員」、残業代ゼロの「裁量労働の拡大」、非正規雇用増大の「派遣労働の拡大」などを労働法制に盛り込むのであれば、同時に、社会に上下契約の概念を導入しなければならない。そうでないと労働者は、労働者としての当たり前の権利を社会的にすべて失うという結果に陥ってしまう。
※追い出し部屋
大企業などで従業員に自主退職を促すことを目的として設けられた部署のこと。別名、窓際族・ショムニ、リストラ部屋。
企業側からは解雇をくださず、仕事を与えることもせず、自主的な退職を促すのみ。主な仕事は他部署の応援で、応援要請がない場合は何もせずに終業時間を待つ。大企業によるリストラ策の一種とされる。
追い出し部屋は、朝日新聞が2012年12月31日付の記事で取り上げたことで注目を集めた。2013年1月には厚生労働省が実態調査に乗り出す意向を表明している。