中国の国営英字紙チャイナ・デーリーは30日、四川省で発生したチベット族の抗議デモについて、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と欧米諸国が、中国政府の信用を傷つけるため、共謀して事実をゆがめていると厳しく批判した。
チャイナ・デーリーは論説で、ダライ・ラマは西側諸国の支持を得るために問題を起こしていると非難。「今日の社会では、少数の過激派が、地域または国全体に影響を及ぼす大混乱を生じさせることが可能だ」とし、一部の西側政府やメディアからダライ・ラマが資金援助を受けていると述べた。
チベット独立を支援する複数の人権団体によると、四川省では23日以降に中国政府に抗議するチベット族のデモが発生し、警察や治安部隊の発砲などで7人が死亡、60人以上が負傷した。しかし新華社は、「暴徒」が警察署を襲撃したとし、警察は自己防衛のため発砲したと伝えている。
中国では、チベット僧らが政府に抗議するために焼身自殺を図るケースが過去1年間で少なくとも16件発生している。
(2012年01月30日 Reuters「ダライ・ラマと欧米、「デモの事実を歪曲」=中国紙」より)
『今日の社会では、少数の過激派が、地域または国全体に影響を及ぼす大混乱を生じさせることが可能だ』とすることに反論できる人はいないだろう。ただチベット僧が過激派であるとする説には異論があるかもしれない。
あるアメリカ人によればチベット僧は中国国内での宗教の自由を求めているのだという。アメリカ人の宗教とはキリスト教であったり、イスラム教であったりの、あの宗教である。しかし、中国では政治が宗教であり、宗教の自由とは政治の自由という意味になり、その観点から自治区にするというのが精一杯の譲歩だろう。それはチベット族の宗教観とは異なるものであるかも知れない。問題はアメリカ人が考えているより単純ではない。ちなみに日本人の宗教、救済を求める対象は政権である。誰も宗教に対して救済を求めていないのは周知の事実である。
また日本人の自由の概念は欧米諸国とは異なる。欧米諸国が上下契約に拘束されつつ社会からの無拘束状態であるのを指すのに対して、日本人の自由は無拘束状態の言動と発想の確保になる。こうした自由の概念はチベット人にはないだろう。それを前提にしたうえでのチベットの自由を支持する運動なら別だが、日本でのチベット人擁護の運動は、どうもその前提など考えてはいないように思える。だとすれば、その運動は国内向けの政治運動でありに過ぎず、チベット人の利益にはならないだろう。