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メディアとの付き合い方を考える 池上彰の教養講座 戦後史の歩き方(7) 東工大講義録から

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 このコラムは、皆さん方が社会人として巣立って行く前に日本の社会がどうなっているのか考えてほしい、社会に出た人々にも世の中の仕組みを知ってもらおう、ということを狙いにしています。今回は「メディアとのかかわり方」について考えてみましょう。

■東日本大震災をどう伝えたか

 メディアとの付き合い方、あるいはメディアの読み解き方を「メディアリテラシー」といいます。リテラシーとは読み書きの能力のことです。メディアリテラシーというと、メディアを受け止める能力のことをいいます。

 メディアをはなから信じてしまったり、あるいはすべてを信用しなかったりということではなくて、メディアそれぞれの利点と欠点、あるいは優れたところと問題点、それをそれなりに受け止めながらどのようにメディアと付き合っていくかということです。

 日本のメディアの問題点が大きく浮き彫りになったのが、2011年3月11日の東日本大震災でした。学生の皆さんは、地震、津波あるいは原発事故について、どんなメディアから情報を得たでしょうか。テレビ、ラジオ、新聞、あるいはツイッターなどに代表されるSNS(交流サイト)やインターネットでしょうか。聞きますから挙手してください。

 主にテレビだったという人?

 教室にいる学生のほとんどがテレビだったのですね。では、ラジオはどうでしょう?

 1人ですね。新聞はどうでしょう?

 3人。では、ネットニュースからという人?

 数人というのは意外に少ない感じもしますが、2年前の春といえば皆さんは東工大に入ったばかりかまだ高校生だったわけですね。

 ――それでは311の後、テレビを見ていて、ここは良かった、ここは駄目だったなというところ、どんな点がありましたか。

学生A 良かった点は、すぐに現地に記者やリポーターが入って情報を流したこと。駄目だった点は、どのテレビ局も内容が結構似ていたので、被災地ごとにきめ細かく分けて放送した方が良かったのではないでしょうか。

 ――確かに、どのテレビ局も同じ内容を流していて、それは無駄じゃなかったかという指摘はよくあります。

学生B 原発事故のニュースばかり流していて、ほかの事件が取り上げられなかった点は良くなかったと思います。すごく大げさに取り上げているように見えて、国民が余計に不安に感じたのではないでしょうか。

 ――なるほど。原発事故ばかり取り上げて不安になったということですね。

学生C テレビで良かった面は、生の映像を感じられたこと。悪かった点は、津波の映像をくり返し流すばかりで、ほかの情報をあまり得られなかったこと。被災地の状況を細かく伝える情報は、ツイッターのような個人のメディアに比べて少なかったと思います。

 ――皆さんはマスメディアの力とその限界を感じたのですね。マスメディアは不特定多数に一斉に情報を送るから速報性はある。ところが、みんなに向かって送るものなので、個々の人が求める情報を十分に伝えきれないことがあります。その点、注目を集めたツイッターでは、非常に細かい情報が得られたようです。

■今、何が起きているのかを伝える

 地震発生後、NHKはヘリコプター基地に常駐していたカメラマンがヘリコプターで飛び立ち、大津波が田や畑、あるいは住宅を飲み込んでいく驚くべき映像を撮ってテレビに流しました。東京でも、気象庁が大津波警報を出していましたが、大津波が具体的にどのようなかたちになっているのかわからなかった。あの映像で被害がとてつもなく大きいことが分かり、国を挙げての対策につながったのです。

 あの時、毎日新聞社のヘリコプターも燃料補給のために着陸しようとしたら津波警報が出て、飛び上がったところで押し寄せる津波に遭遇したのです。毎日新聞社の写真が共同通信を通じて世界中に配信されました。

 日本のメディアが報じた映像や写真によって、世界は日本で巨大地震が起き、大変な被害を受けたことを知ったのです。伝統的なマスメディアであるテレビや新聞の役割の重さを象徴するエピソードです。

 東京電力の福島第1原子力発電所は水素爆発を起こしました。いわゆる原発本体が爆発したわけではなくて、高熱になった原子炉で冷却水が分解されて水素ができ、それが原子炉を囲んでいる建物に充満し、何らかの原因で水素爆発したのです。

 日本テレビ系列の福島中央テレビがその瞬間の撮影に成功しました。NHKも含め各局は福島第1原発で何か起きたときのために固定カメラを設置していたのですが、地震で傾いたり、電源が切れたりして、写らない状態だったのです。

 日本テレビ系列で水素爆発の瞬間の映像が流れているのに、ほかの放送局では流れていない。視聴者の間には「NHKが流さないのは何かパニックを抑えるためではないか」という臆測が広がりました。ただし、これはある種の過大評価です。当時、英国在住の私の知人が「テレビを見ていたら、原発が爆発する瞬間の映像を頻繁に流している」というのです。ところが日本で日本テレビ系列以外を見ていた人はそのこと自体を知らないという、非常に不思議な情報格差が起きました。

■避難所で発揮した活字の力

 スマートフォンやパソコンなどIT(情報技術)機器は便利ですが、電源が切れてしまったら役に立ちません。結果的に、古くからのメディア、新聞の活字情報が見直された場面がありました。

 例えば、宮城県の河北新報社という大手地方紙は新聞製作用サーバーが傾き、新聞をつくれなくなりました。そこで、災害協力契約を結んでいた新潟県の新潟日報社に製作に必要なデータを送り、加工データを受け取って、工場で印刷したのです。

 大地震情報などを含めた新聞号外を夕方印刷し、仙台市内の避難所に届けたのは夜の10時すぎだったそうです。配達した人が「こんな時間に読んでくれるのか」と思いながら避難所に届けたら、人々が集まってきて、ひったくるように持っていったそうです。

 そもそも停電していたので、テレビも役に立たず、大地震の全体像が見えない。「なぜ、この避難所に救援物資が届かないのか」と不満を募らせていたときに、東北地方一帯がとてつもない被害を受け、津波によって大勢の犠牲者が出ていることが分かったのです。そこで初めて、「当分援助は来ない、何ができるのか」を考えるようになったのです。

 当時、有名になった新聞に石巻日日新聞(いしのまきひびしんぶん)があります。石巻市とその周辺地域で読まれている地方紙です。新聞を印刷する輪転機が津波で水をかぶってしまい、印刷できなくなりました。

 そこで記者たちは模造紙に手書きの壁新聞をつくりました。東北地方に大きな地震が発生し、巨大な津波が起きているということを模造紙に書き、手分けして何枚も同じものをつくって、避難所に届け続けたのです。例えば、水道の断水がいつまで続くのか。どこの地区が復旧するのか。電気はどうなのかといった、人々が一番知りたかった情報を伝えたのです。本当に素朴な手書きの新聞でしたが、それが避難所にいる人たちにとって一番役に立つ情報だったのです。 

 こんなこともありました。テレビ中継している避難所や被災地の学校などには救援物資が集まりましたが、中継されない隣の小学校や隣の公民館には何も届かなかったのです。阪神大震災のときにも同じことが起きました。今回、威力を発揮したのが短文投稿サイト「ツイッター」だったのです。

「この避難所には物資が足りない、水も足りない、何かを送ってください」という状況が書き込まれて発信されると、それがどんどんリツイートされて次々にそこに物資が運ばれる。あるいはネットで被災地の事情を伝える専用ウェブサイトが立ち上がりました。全国でその書き込みを見て生活物資を送る人たちが出てきたのです。

 あれだけ大きな災害が起きたときに、マスメディア、あるいは各地のローカルメディア、そしてツイッターなど新しいメディアがそれぞれ役割を果たしたのです。メディアの限界があるなか、どう活用していけば良いかという問題を提起したと思います。

■ネット検索の「わな」

 一つ考えてほしいテーマがあります。情報がよく分からない人たちは、ネットで検索して調べるでしょう。そのときに「ネット検索のわな」のようなものがあることです。

「原発が危険だ」、「放射能が危険だ」、という立場でキーワード検索をすると、情報はいくらでも出てきます。政府はうそをついている、実はとんでもない量の放射性物質が出ている。日本を脱出しなければいけないと思わせるぐらいの情報はすぐに集まります。その一方で、「それは大げさじゃないか」、「それほど恐れることはない」という立場で検索すると、「メディアは騒ぎ過ぎだ」とか、「パニックになっているのはおかしい」とか、冷静な情報がたくさん集まってきます。

■情報を独占できなくなった

 これは、ある種の進化論でいう「定向進化論」にたとえられます。定向進化とは、体が大きくなることによって生き延びることができると、どんどん大きくなって、結局、滅びてしまうような現象をいいます。まるで恐竜のようです。これはあくまでも私の造語ですが、「ネット検索による定向進化」はあり得ると思います。人が知りたい情報はネットで調べればいくらでも出てくる。ただ、結果論として、全体のバランスが取れた情報を得ることができないということが起きると思うのです。

 ただ、原子力発電所をめぐって、反原発か脱原発か現状維持か、それぞれのメディアがそれぞれの立場で方針を明らかにすることは、決して悪いことではありません。それこそ日本の多様な言論空間が保障されるわけです。日本中のメディアがみんな同じことを言っている方が、かえって大変危険です。

 日本のメディアでは記者クラブ制度の問題点が指摘されることがあります。記者クラブがあるから日本のメディアはおかしなことになっていると厳しく批判する人もいます。この制度は、もともと明治の初めに国会ができたときに、新聞記者が国会に入れないのは困る、なんとかしようじゃないかと、新聞記者たちがまとまって記者クラブをつくって政府と団体交渉をしたことが始まりです。

 少し前までは記者クラブが政府の情報源を独占できました。役所の発表は、記者クラブに加盟している記者しか聞けなかったからです。ところがネットが広く普及し、役所は会見後に、ホームページに発表内容を掲載するようになりました。そうすると、今度は記者クラブの記者たちが厳しい立場に立つようになりました。一般の人々から、「あれ、新聞やテレビではこう報じられていたけれども、本当は違うのではないか」と、報じた内容について見極められるようになってきたからです。

■人々の愛国心に訴えた

 歴史的にみるとメディアは、戦争報道によって視聴者や読者などを大きく増やしてきました。第2次世界大戦より前、日本の放送はラジオから始まりました。日中戦争が始まり、戦線がどんどん広がっていくと、その結果を知りたい人々が高価なラジオを買い、ラジオの前に座って戦況に耳を傾けました。当時は徴兵制度で、多くの日本人が中国大陸に渡っていました。夫、あるいは息子が戦場に行っている。残された家族はラジオに耳を傾け、戦争の行方を固唾を飲んで見守ったのです。

 当時、新聞業界では日中戦争に批判的な新聞をつくっていたら、「戦争に否定的な報道をする新聞は読まないようにしよう」という不買運動が始まってしまいました。新聞社も営利企業ですから新聞が売れないと困ります。そこで編集方針を転換し、戦争を全面肯定しとたんに売れるようになったという苦い歴史があります。戦争を報道し、あるいは戦争を全面肯定することで読者が広がっていったのです。

 米国でも同じような現象が起きました。1980年代、CNNというケーブルテレビ局が生まれました。それまでは老舗のCBS、NBCそれからABCという三大ネットワークでした。夕方の6時から6時半まで、あるいは6時半から7時までの30分間の時間帯以外はほとんどニュースがありませんでした。

 それに対して、CNNは24時間ニュース専門チャンネルです。最初は経営的に非常に苦戦しました。記者やカメラマンを大量に採用し、全国にこれを展開しなければいけない。経費ばかりかかるわりには視聴率が低かったのです。

 そのCNNが躍進するきっかけは1990年から1991年にかけての湾岸危機と湾岸戦争でした。クウェートに攻め込み、占領し続けるイラクを追い出すため、米軍を中心とした多国籍軍が組織されました。多国籍軍がイラクを攻撃し、イラク軍を撤退させる光景をCNNはいち早く伝えました。CNNの視聴率がどんどん伸びて、経営的に安定するようになるわけです。

■客観報道はどこまで可能か

 そのあと誕生したFOXニュースは愛国報道と共和党寄りのテレビ局としてスタートしました。そしてFOXニュースは2003年のイラク戦争のときに視聴者を大きく増やしました。

 私は今でも米軍がイラクを攻撃した時の衝撃を覚えています。米軍の戦車がバグダッドに突入するとき、FOXニュースはその戦車の上から、「わが軍がいよいよ首都バグダッドに入ります」という生中継をしたのです。CNNは客観的に「米軍」と伝えました。FOXはこれによって視聴率を急激に伸ばし、視聴者数でCNNを抜き去りました。これがメディアにとっての大きな誘惑であり、危険なところだと思います。

 日本では、ある特定の政党寄りの報道をするニュースチャンネルというのは考えにくいでしょう。なぜそんなことができるのか。米国にはFCC(連邦通信委員会)があります。いわゆるテレビやラジオの放送局を監督する組織です。ここが1987年(昭和62年)に、放送の公正原則を撤廃したからです。

■情報を見極める視点を持って

 わかりやすくいうと、一方的に偏った放送をしてもいいことにしたのです。それまでは、本来、電波は国民みんなの財産。だから、放送は中立公正でなければならないと考えられたわけです。それは日本も同様です。

 ところが米国の場合、ケーブルテレビのチャンネル数がどんどん増えて、ざっと500チャンネルぐらいになりました。多様な言論が保証されるのだから、それぞれが偏っていたって構わないじゃないかということになって、この公正原則が撤廃されたのです。

 日本のメディアも、客観報道を貫くことができるのかという大きな課題に直面しています。例えば、日本をめぐる東アジア情勢が非常に緊迫しているわけですが、こういうときに国民の愛国心に訴える報道をたくさん流せば、視聴者が増えたり、部数が伸びたりするかもしれません。

 私たちがメディアリテラシーを養う上で、その影響力や歴史を振り返ることが極めて重要です。かつてのような悲惨な歴史を繰り返さないよう、既存のメディアからネットのような新しいメディアまで、流し続ける情報を見極める視点を持ってほしいのです。

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 古代ギリシアでは、すでに公正中立は否定されていた。というのも、そもそも、ある人が公正中立だということは、その人は神の立場にあるということになり、それが悪魔であっても同じ構図だという理由による。したがって、人とは偏見を持つものであり、違いは、その偏見が好意的偏見か悪意的偏見かであるとしたわけである。

 人を神の立場(悪魔の立場)に立たせてはいけない。それは組織も同じで、ある組織を神の組織(悪魔の組織)にしてはいけないのであり、そのためにはある組織に公正中立を主張させてはいけないわけである。この段階に達したのがアメリカの法制度とメディア界である。 























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