アフィリエイトで勘違いした大学生の末路
■ただの趣味で始めたはずなのに
大学生だった2007年頃から趣味で他愛もないホームページをつくっていた。ワードプレスやライブドアブログのようなCMSには頼らず、1から10まで自分で作ることにこだわった。すぐにのめり込んでいき、大学の図書館にこもりWEB関係の本を借りまくった。
しかしWEB関係といってもPHPやSQLは理解できなかったので、まずはHTMLとCSSだけ勉強して静的なページをべた書きで量産していった。HTML,CSSですら最初はつまづいていたけれども、自分の意図した通りにデザインできるようになってからは面白かった。
アクセスは全く増えず、一日100PVにも満たなかったが、僕はめげなかった。
講義には出ず、学園祭にもサークルにもいかなくなり、周囲からは「まだやってたの」「何がしたいの」と呆れた目で見られるようになった。付き合う人も限定されて社交性は衰えていった。
半年が経っても動的なページをつくれる技術はなかったので、未だに力押しでページを量産していた。しかしデザインにはこだわっていたので、単純なHTMLでも、見た目にはそれなりのサイトに仕上がっていた。
内容はくだらなくても、いっちょまえなレイアウトで書けば、それだけで見栄えのする物になった。PVはすぐには伸びないとわかっていたので、平均滞在時間、平均PV、直帰率を目標にしていた。
ユーザビリティには独自性は無用で、正解があると思っていたので、ヤコブニールセンのWEBユーザビリティの本を買って、素直に勉強した。PVが少なかったので、平均をとっても余り意味がないのだけれども、平均PVは8はあったと思う。ビジネスの基本は選択と集中だと考えいたので、PVが伸びなくてもサイトのテーマは広げず、なるべく狭く深くを追求していった。
■勘違いのはじまり
サイト制作をはじめてから8ヶ月ごろではじめてグーグルアドセンスが振り込まれた。一度軌道に乗るとサイトのアクセスは乗数的に増えていった。2年目にはサイトのPVは月100万を超えていた。ヤフーニュースの関連する記事にリンクが貼られたことも大きかった。
アフィ収入は年間400万を超えて、僕は大学3年で親の扶養を外れた。稼げるようになってから、周囲の目が変わった。いまどきアフィリエイトかよと呆れていた人が僕にジャンルや手法を訊いてくるようになった。
この頃から僕は自分にはプログラマの適正があると勘違いし始めた。HTMLやCSSは狭義のプログラミングではないにもかかわらずだ。
調子に乗った僕はプロの話を聞きたいと思って、広告で見た翔泳社のデベロッパーズサミットに参加した。年に一度開かれるITエンジニアの割と大きなカンファレンスだが、仕事で来てる人がほとんどだと思う。名刺がないので受付で恥ずかしい思いをした。
javaのカリスマエンジニアやオラクル、NTTデータ、MSの偉そうなというか偉い人、はてなの人などが講演していた。当時HTMLとCSSしかわからず、PHPとMYSQLをかじったばかりの僕には話の内容は1割も理解できなかった。それでも僕は卒業後はIT業界で働きたいと思いはじめていた。
■ITを仕事に
引きこもってプログラマごっこを続けているうちに大学4年になった。一生アフィで食っていけるわけもないので、就職活動をはじめた。WEB系は中小しかなく薄給とそれとなく知っていたので、大手IT企業や大手SIerを中心に受けた。
結論から言うとMSもデータもオラクルもグーグルもユニシスも全部落ちた。
営業職も応募したけれど、いずれにせよPHPとSQLをかじっただけでは戦力にならないし、そもそも、WEBとSIでは言語の畑が違うのだろうが、たぶんそういう技術的な事はどうでもよかった。
技術的な事は入社後に教育する体制ができてるので、学生には何よりもまず社交性を求めていたのだろう。人間よりもPCと付き合ってた僕の社交性は衰えていた。
〜現時点で私が御社に提供できるスキルは何もありません。
〜でも、私には在学中に専攻外の事を勉強していった自主性があります、
〜これに関しては誰にも負けません。
とアピールしたのだけれども、ダメだった。ただの独り善がりの変なヤツに見えたのかもしれない。疑わしきは落とす。
結局僕は社交性、人間性、社畜適正、その他、大企業が学生に求める普遍的な魅力を欠いていたから内定がでなかったのだろう。文系の学生が独学で中途半端にプログラミングの勉強を始めたばかりに、それはIT業界から内定を得る上での強みになるどころか、致命傷になったのだ。皮肉な話である。
友人は立派な会社に就職していったので、当時リーマン不況のまっただ中で就職難だったというのは理由にならない。facebookで大学の友人をみると勤務先がNTTデータとかアクセンチュアになっていた。僕よりも人間的な魅力があったのだろう。技術なんて一切関係なかった。僕は悔しかった。
幸い他の業界で内定をもらえたので、そのまま就職した。サイト制作は趣味と割り切り、日本を支える製造業を仕事に選んだ。
■起業
内定をもらってから卒業するまでの間に、僕よりもずっとITに明るい友人に、アフィで成功していたことを買われて起業を持ちかけられたが、何度も衝突し、結局2ヶ月で僕の方から音を上げてやめた。
起業するなら一人でスタートして人を雇うなり外注するなりすべきで、チームで始めるにしても誰が一番偉いのか最初に明確にすべきだと、このときに確信した。
■仕事なんてクソだろ?
長くなったが、ここまでは前置きでここからが本番だ。
就職したが、毎日のような飲み会と、週末のゴルフ、一発芸の強要など体育会系の慣習に嫌気が差した。日本の大企業がどこもこうなのかと思うと、哀しかった。
僕は仕事の傍らの片手間の作業でも収入が増えていくアフィに目をくらませて、半年で退職し、専業アフィリエイターになった。今は無き海外ニートブログの労働観と、後述するコピペが僕を後押しした。
■砂の城
賃貸物件の審査は確定申告書を見せたら通った。専業になってから収入は伸び続け、一番多いときで月80万を超えたが、その代わり孤独になったので、以前のような精神的な余裕がなくなった。
技術的には大学在学中からほとんど成長しておらず、未だにhtmlのべた書きで、サイトの一部でphpとsqlを使用してる程度だったからだ。
僕のサイトはWEBサービスといえるような代物ではなく、ただの一方通行のサイトで、コメント欄をつくる技術もないので、放置していもユーザーが勝手にコンテンツの価値を高めてくれるということはなかった。
ページを増やすのは社員を増やすようなものだと考えていたけれども、僕の身体は一つなのでべた書きで増やせる量には限界がある。
一人で安定してコンテンツを生み出すには、今後は趣味のサイトからは卒業し、より商業的なユーザー参加型のCGMを作らなくてはならない。このままではまずいと感じていた。
しかし僕はcakephpのようなフレームワークを使用せず、というかMVCを理解できず、。ワードプレスのようなCMSもつかわず、力押しでべた書きで作っていたので、できることには限界があった。
僕と同じ個人事業主がつくっているW3Qのような立派なサイトをみるのが怖かった。
■毎日が夏休み
僕のサイトはブログやニュースサイトではなく、テーマが普遍的なサイトだったので、放置していもPVは減るどころか増えていった。多い時で1日12万PVはあったと思う。あぐらをかいた僕はサイト制作を完全に放置して、不安を紛らわすために現実逃避で遊びはじめた。
目的地も決めず、平日に思いつきで一人旅やサイクリングにいった。仕事を辞める引き金をひいたのが、2chの独身男性板でみたこのコピペだった。
もし仕事に行きたくなくなったら、そのまま反対の電車に乗って、
海を見に行くといいよ。
海辺の酒屋でビールとピーナツ買って、海岸に座って
陽に当たりながら飲むといいよ。
ビールが無くなったら、そのまま仰向けに寝ころんで、
流れる雲をずっと眺めるといいよ。
そんな穏やかな時間がキミを待ってるのに、何も無理して
仕事になんか行く必要ないよ。
毎朝ネクタイを締めるときにストレスで吐いていた僕の背中を押してくれた。なんて罪なコピペだろう。気晴らしのはずの一人旅なのに、旅館の人に今日はお仕事お休みですか?と聞かれたのが辛かった。
他にも一人で野球観戦に行ったり、映画を借りまくったり、早朝深夜のメジャーリーグの試合を見まくったり、夜更かししてロンドンオリンピックを見まくったりした。野球中継に関してはスカパーのプロ野球セットを契約していたので、144試合中130試合は1回から9回まで見ていたと思う。
僕はサラリーマン時代に味わえなかった自由をほとんどすべて享受した。サイトの方はなんだかんだで半年以上更新してなかっただろうか。
■瓦解
そして昨年の11月に事件が起こった。グーグルのアルゴリズムが変わり検索順位が大きく下がったのだ。多い時で80万円あった収入は20万円台にまで落ちた。
打開するための次のサイトのアイデアはあるのだけれども、技術がない。周りに相談する人もいないので質問サイトを使うしかない。
フロー理論でいう挑戦と技能の間の大きなギャップがあり、不安に駆られ現実逃避しか出来なくなった。
■ゲームオーバー
収入は落ち込んでいくのに、サイト制作をする気にもなれず、この一ヶ月前に自営業を断念した。僕は公務員を目指すことを考え始めた。
一ヶ月後の6月が試験であるが参考書だけ買って全く勉強は進んでいない。今年は無理だろう。しかし今年で27歳だ。公務員になるにはそろそろ年齢制限にひっかかる。来年筆記試験にうかったとしても、年増が面接に受かるだろうか。
勉強したあげく面接に落ちたらどうなるだろう。27歳にもなるのに職歴がなく、独学でphpとSQLを囓った程度ではWEB制作会社は雇ってはくれないだろう。
詰んだかな、これ。
もっと外に出て、みんなと同じ大学生活を送って、みんなと同じ就職活動をして、みんなと同じように働いていれば。これから僕の人生はどうなるのだろう。嗚呼。
I see my life fading away.
2013年5月17日 現実逃避で野球中継を見ながら執筆。
アフィリエイトで勘違いした大学生
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大学生活⇒みんなと同じ就職⇒定年退職、これ以外の人生もあるのだろな! 彼の周辺環境には大学生活の頃の同級生たちしかいない感じだから、それと比較して自分がきつく感じるのかも知れない。周辺環境のレベルを下げれば(たとえば周りには小卒・中卒・高卒などしかいないとか)、さして悩むような人生を送っているとは思えない。