作家、太宰治(1909〜48)の旧制青森中学・弘前高校時代のノートや日記など22点が日本近代文学館(東京都目黒区)に寄贈され、同館が10日、全容を公開した。落書きだらけのノートには考案中のペンネームらしき名前や似顔絵などが書き散らかされており、文豪の青年時代の素顔が見えてくる。
ノートは布製の大きな信玄袋に入っていた。太宰の死後、兄の故津島文治氏から歌人の故横山武夫氏に譲られ、横山家で保存されていた。ノートの存在は研究者の間で知られていたが、全容が公開されるのは初めて。同時期の別のノート2点は青森県の弘前大学で公開されている。
「地鉱」と書かれた高校1年のノート。前半は講義の内容がまじめに書き取ってあるが、途中からは落書きだらけに。あるページでは、左下に「芥川龍之介」という名前ばかりが10回近く殴り書きされている。芥川が自殺したのは1927年7月。この年、太宰は高校1年だった。安藤宏・東大教授(日本近代文学)は「太宰は芥川の死に影響を受けたといわれてきたが、これが具体的な裏付けになるかもしれない」という。
同じページの右上には「津島麟」「小川麟一郎」という名前も見え、ペンネームを考えていたのではないか、とみられる。同じノートには、太宰が高校2年で創刊した同人誌「細胞文芸」の表紙や目次の案も書かれていた。資料の精査はこれからで、安藤教授は「デビュー前は資料が少なく、わからないことが多い。ちょっとした落書きからも文学観や人生観がわかるのではないか」と言う。
文学館は画像データベースを作成。今秋にも一部を一般公開する考えだ。