アメリカには、外見的判断により「他人を傷つけそうな者、自分を傷つけそうな者」に対して、強制的に医療を受けさせるという法律がある。この法律はその制定の初めから賛否両論あるらしい。また、最近の銃規制の動きに照らし合わせて検証すると、銃犯罪者で未然にこの法律の網にかかった者はひとりもいないという。つまり犯罪抑止には効果はないというのである。
大分前に、アメリカの精神科医が21世紀の医療について問われ「精神的な病気は発見され、また、その治療は格段に進展するだろう。しかし、気違いは正常者とさほど変わらない生活をしているので、その発見は難しく、また病気とはされていないので治療法は存在しない。それが大きな問題だ」と語っていた。さらに犯罪専門家は「凶悪犯人の多くは、社会の人が想っているのと違い、私たちとさほど変わらない生活をしています。つまり一般社会に溶け込んでいます。ですので、未然に凶悪犯罪を防ぐというのは至難の技です」と語っている。その道の専門家ですら病気を気違いを見分けることは難しいのだから、私たち一般人ならなおさらだろう。しかし、経験や人に関する知識などの積み重ねで、悪さと異常さの違いは区別できるようにはなるのではないだろうか。つまり高次の常識人が21世紀の社会には求められているのだろうと思う。
しかし、実際には常識的な「主張と声の区別」すらできない人々が現れている。
⇒沖縄県民やマスコミの「煩く怒鳴る声」と、私の「静かにささやく声(still small voice)」
こうした社会状況からは、悪さと異常さの区別⇒病気と気違いの区別は望むべきもないことだろう。