今回は文学ゆかりの場所をめぐる「本に会える散歩道」。東京の中心として明治時代から栄える日比谷を散歩していました。案内してくれるのは、評論家・山田五郎さん。
まずは、人気海外ドラマさながら24時間で謎発生から解決までが描かれている「魔都(久生十蘭)」の舞台となった東京會舘を紹介。昭和初期の東京の雰囲気も味わえる作品です。作中、大内山という山が登場しますが、その山は「皇居」だということを山田さんが解説していました。
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続いて案内してくれたのは、歴史深い日比谷公園で太宰治が自決する前に書いた作品「渡り鳥」の舞台となる日比谷公会堂。この作品の二ヶ月後に太宰は自殺しています。だからでもないかも知れませんが、作品の完成度は低く、物語りは唐突に終わっていますと解説していました。日比谷公会堂での演奏会が終わり、外に出て来る客を「烏」に譬えて展開して行く物語。はじめ三人称なのですが、途中で一人称の「」に変わり、それが作品の三分の一以上を占める。もうどうでもいいんだよ、と言う太宰の声が聞こえてきそうだと言ってました。
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多くの文豪が愛したレストラン「松本楼」では智恵子抄に書かれた氷菓をいただいていた。智恵子抄のなかで光太郎が智恵子のことで泣く一節を解説していました。”泣くのを許したまえ”と光太郎は書いてあるのか。泣くのに他人の許しなど必要ないわけですから、言われてみれば不思議なフレーズです。その謎は当時の社会状況に・・・この一節が書かれた、つまり光太郎が「松本楼」を訪れたのは大正元年8月、それで氷菓を注文するわけですが、前月は明治45年7月。社会は明治天皇崩御で社会が悲しむに包まれていました。皇居周辺では献花が行われ、その人々が日比谷公園へと流れて来る。公園内にある「松本楼」で在って光太郎もその人々見ていたでしょう。またその頃、智恵子は見合いをし、その相手のもとへ嫁ぐという話しもあった。光太郎は必死に止める、泣くほどに・・・社会は天皇崩御で泣いているのに、光太郎は私事で泣く。そこで”泣くのを許したまえ”と書いた、と山田さんは解説。それに対して麻耶さんは「学校で教えてくれていたら、もっと理解が深まったのに」と返すと「多分学校でも教えていると思います」というと「いいえ。習ってません」と言い張る。真実は?
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公園を抜けて帝国ホテルを紹介。ゆかりの作品は「真珠夫人」
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最後は池波正太郎の「銀座日記」で登場する「慶楽」を紹介。グルメとして名高い池波正太郎が愛した焼きそばを頂いていました。
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