鉄道インフラの輸出が進まない。期待をかけた米国は財政悪化の懸念から高速鉄道の導入ムードが鈍化気味。タイなど新興国でも政変で都市交通の整備計画が後ズレしている。もちろん、相手国に振り回される事態はインフラ輸出にはつきもの。だが、足元の対インド営業を取材すると違う世界が見えてくる。不振の理由は「日本」の独特すぎる業界構造にありそうだ。
11月、米国カリフォルニア州で高速鉄道の計画を策定する会社「CHSRA」が、事業の完工時期を当初予定の2020年から33年に遅らせることを明らかにした。約426億ドルと見積もった事業費がその倍に膨らむため。
入札を検討してきた川崎重工業(松岡京平常務)
財政難や選挙などマイナス要因が多い。
巨額投資が必要な高速鉄道だけが足踏みしているわけではない。タイでは11年春に実施された地下鉄入札が政権交代で事業者選定が先送りに。日立製作所と三菱重工業が共同で応札するなど11年の数少ない大型プロジェクトだったが、年末の現時点でも計画は中ぶらりんだ。
政府の成長戦略では原子力発電所と並んで「競争力のある」分野とされた鉄道インフラの輸出も、ふたを開けてみれば目立った成果は日立の英国での車両受注の内定ぐらい。
業界関係者
鉄道ビジネスは足が長い。すぐに結果が出るはずがない。
だが、本当にそれだけなのか。
「1カ月に何両を点検するのか」「新型新幹線のモーターのけん引力は」。12月8日、仙台市にある東日本旅客鉄道(JR東)の新幹線整備工場を3人のインド鉄道省関係者が訪れていた。日本人でもそう入れないモーター点検設備などを見学した。
サンジブ局長
安全・無事故で知られる日本の新幹線技術を学べた。
国際協力機構(JICA)が主催したこの研修は、外国政府の実務者に日本の技術を理解してもらおうという初の試みという。
研修は5日から19日まで実施され、鉄道省から12人もの局長級幹部が来日した。最新鋭のE5系東北新幹線「はやぶさ」にも乗り、日立や川崎重工の工場も視察した。
JICA
政府首脳のトップ外交だけでは駄目。これからは計画を実際に決める人たちに日本の鉄道の良さを分かってもらわないといけない。
16日に開いた来日者の歓迎パーティーには車両から信号まで、50人以上の日本の鉄道インフラ関係者が集まった。過度の配慮にも映る対インド営業だが、それは「入札前から負けている」という日本の鉄道インフラ輸出が直面する課題の裏返しだ。
鉄道インフラに関する資料で政府が全く世間に公表していない事実がある。インドで計画が進む6路線の高速鉄道。実はそのうちデリーとパトナを結ぶ路線など4つについては欧州勢の受注が確実視されている。車両の入札があったわけではない。
メーカー関係者
ルールの設定権を欧州企業に先に取られてしまった。
インドは同国初となる高速鉄道計画そのものの事業化をさぐるため、コンサルタント企業を国際競争入札で選定した。落札したのはフランスのシストラ、英国のモット・マクドナルド、スペインのイネコの欧州勢だ。海外の鉄道整備では、実績が無い国ほど有力コンサルに車両の技術仕様や運行システムの計画づくりを任せる例が多い。今回もそれにならった。
ただ、欧州コンサル主導で日本と異なる技術仕様の計画づくりが進めば、その後の車両などの入札で日本勢の勝ち目は乏しくなる。例えば信号。無線を使って車両と基地でデータをやりとりするシステムは日本には無い。衝突の無い専用線を走るため、軽い一方で外部からの衝撃に弱い車体構造も在来線を走る欧州車両のそれとは根本的に異なる。
車両メーカー幹部
欧州仕様で入札となった場合、仏アルストムなど欧州勢は『実績』をもとに売り込めるが、日本勢は『書類』のみでしかすごさをアピールできない。
日本信号の大島秀夫執行役員
信号は日本のシステムの方が技術水準が高いが買う側から見ればガラパゴス技術。
コンサル段階という「上流」から押さえる戦略は、欧州がこれまでも推し進めてきた。シストラは米カリフォルニアに事務所を設け、「CHSRA」へのロビー活動を繰り返している。
政府関係者
オセロ(ゲーム)で四つの角を取ってくるような戦略。仕様を決められると手遅れになる。
実際、コンサル段階での負けで失注したアジア案件は少なくないと業界関係者は口をそろえる。
日本には同様の業務ができる企業がなく、ようやく11月にJR東やJR西などが出資する海外向け鉄道コンサル「日本コンサルタンツ」が立ち上がった。
日本信号の大島執行役員
これまでこうした発想がなかったのは国内市場で十分食べられていたから。
巨大な日本市場の存在が、皮肉にも今の日本企業の海外展開の足を引っ張っている。
コンサルだけにとどまらない。海外生産でも日本勢は大きく遅れをとっている。日立はブラジルやインドで車両工場の新設を検討しているが、アルストム、ボンバルディア、シーメンスの欧州「ビッグ3」はすでに拠点を持つ。
日立の中山洋・交通システム社長
超円高下で入札に勝つには日本からの輸出は現実的ではない。
日立は10年、ブラジルでのモノレール入札でボンバルディアに競り負けたが、拠点を持っていないことも大きく響いた。
海外仕様を先取りした輸出向けの車両設計も、ようやく緒に就いたばかりだ。川崎重工は時速200キロメートル級の鉄道車両を独自にデザイン。車体強度などを欧州仕様に合わせ、米国に売り込んでいる。日本では車両設計はJRと共同で進めることがほとんどで、同プロジェクトは社内でも「JRを刺激しないか」と慎重な声が上がった。しかし、ビッグ3はどこも輸出専用の車両を持っている。
国内から海外へ――。重視する市場をメーカー各社が変えはじめると、今後問われるのはJR依存からの脱却だ。これまでメーカーに仕事を与えてきたのはJR。JRの機嫌を損ねないでいることが各社の最大の仕事と言ってもよかった。中国が新幹線特許を国際出願した際、技術を出した川崎重工に対してJR東海の山田佳臣社長が「日本の汗と涙の結晶」と不快感をあらわにしたことが主従関係を物語る。
だが、メーカーに成長市場を用意できるのはもはやJRではない。欧州鉄道連盟によると世界の鉄道関連市場は16年には1610億ユーロと現状より20%増える。国内は横ばいだ。あるメーカー幹部は「彼は何の汗を流したのだろうか」と、山田発言への憤りを隠さない。メーカー各社が「上流」戦略の切り札と期待を寄せる日本コンサルにも主要JR3社のうち東海だけが出資を見送った。
このほど野田佳彦首相は訪印し、インドの貨物鉄道事業などに3500億円超の融資を約束した。12年初めには国土交通相も現地に飛び、日本の技術をアピールする。だが、それだけではグローバル競争には勝てない。ガラパゴス化した業界構造から脱し、時にはJRを頂点とした「鉄道ピラミッド」を崩していくだけの覚悟がないと、インフラ輸出は掛け声だけの「国際商談会」で終わってしまう。
(日本経済新聞「日本は鉄道も「ガラパゴス」 苦闘するインフラ輸出」より)