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中野美奈子 オウム斉藤明美・初公判「平田信から獄中ラブレター」ーオウムはポルポト派

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『オウムのことをどう思ってるか、はっきり聞きたいですね。(デーブ・スペクター)』

 オウムについてはいろいろな人がさまざまに言っているが、簡単にいえば、日本のポル・ポト派と定義してもいいのではないだろうか。社会主義という普遍主義が、カンボジアの伝統的思想のなかに導入されたときポル・ポトの思想が現れた。同じように、自然生成説に基づく社会観をもつ日本に、アメリカなど欧米の社会契約説が導入されてオウムの思想が現れた。

 自然生成説に基づく社会観は、社会を生物と自然と同じ関係と捉える。そして、しび関係からの脱出という発想は存在しないのだが。そこへ社会を人工的組織として捉える社会契約説に基づく思想を導入すると、ある思想において脱出は可能であると結論づけることが可能になる。しかし、日本は社会契約説に基づいた社会ではないので、そこから脱出したとしても、その構成員たちが、新たな上下契約のもとで、それに基づく秩序を形成するということができない。そのため、その集団はふたつの秩序の並列状態に苦しむことになる。それの解決策はふたつである。脱出した集団を解散するか、もとの集団を破滅させるかである。オウムは後者を選択した。もっとも、そうしたことを意識的に行ったのではないだろう。

 外国の思想を無邪気に導入した結果がオウムなのだろう。しかし、無邪気に外国の思想・文化を導入しているのは、何もオウムに限らず、私たち日本人に共通の現象だろう。オウムを登場させた背景に変化は起きていないから、今後も、手を変え品を変えオウムのようなことは起き続けるだろう。







 オウム真理教の平田信被告(46)をかくまったとして犯人蔵匿に問われた元信徒・斉藤明美被告(49)の初公判がきのう6日(2012年3月)に東京地裁で開かれ、17年に及ぶ逃避行の様子を自らメモを読んで語った。

 検察側は「事件の究明を妨げ、社会に不安を与えた」として懲役2年を求刑した。対して弁護側は「教団からは脱会し、深く反省している」と執行猶予を求めた。

 斉藤は起訴内容を認め、「愛する人を守りたいと、逃げることを選んでしまった」と述べた。1995年3月に教団に捜査の手が及んだとき、平田から一緒に逃げるよう誘われ、福島、仙台などから大阪にいたった経緯が明らかにされた。97年5月から住んだ東大阪市で は整骨院で働き平田を支えた。

 被告人質問では、逃避の理由を「警察庁長官狙撃の容疑者として謝って逮捕されるのを防ぎたかった」と話し、平田については「尊敬が愛にかわった」と言う。

 斉藤が生活を支える一方で、平田は家から出ず、本を読んだりテレビ、パソコンで過ごしていたという。家具はなく、寝具がひとつだけで、いつでも逃げられるようにしながら、ひたすら長官狙撃事件の時効(2010年3月)を待った。この間、2000年7月からウサギを飼い、「月丸」と名付けて、普段は「月」と呼んでいた。

 狙撃事件の時効の後も出頭しなかったのは、平田が「月丸を看取ってから」と言っていたためだった。そのウサギは昨年8月に死に、卯年の昨年の大晦日、「卯年、月が旅立ち、俺も旅立ちます」と書き残して警察に出頭したという。

 
公判を傍聴したレポーターの岸本哲也
 ここまで惚れた男に尽くせるのかと驚きました。さらに驚いたのは、手配写真とは全く違ったこと。痩せて髪も短く茶髪にパーマで、メガネもかけていて、街で会っても絶対にわからない。証言も小さな声で、ハンカチで涙を拭いながらだった。平田は逮捕後、斉藤に宛てて「次の卯年は一緒に過ごそう。愛を込めて」と手紙を送っていた。これについて斉藤は「平田の服役を見届け、社会復帰する環境を整えるのが私の責任、家族の務めだと思う」といった。愛し合っているんです。

小倉智昭
 情状酌量を求める意図はあるんでしょう。彼が刑を終えて出てきても待ってませんといったら全然心証が違うでしょう。

デーブ・スペクター(プロデューサー)
 オウムのことをどう思ってるか、はっきり聞きたいですね。


 判決は今月27日。


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