韓国の李明博大統領は17日午後、大阪空港着の専用機で来日した。野田佳彦首相と18日に京都市の京都迎賓館で会談する。首相は「未来志向の日韓関係」に向け、首脳間の信頼関係を強めたい考えだ。ただ、韓国内で旧日本軍の従軍慰安婦問題が再燃しているさなかでの首脳会談となり、大統領がこの問題をどう取り扱うかに関心が集まっている。
今回は首脳が互いに行き来する「シャトル外交」の一環で、大統領の来日は国際会議などを除けば2009年6月以来となる。両首脳は17日夜、京都迎賓館で夕食を共にし、短時間の懇談も行う。
18日の首脳会談について、韓国外交通商省は慰安婦問題も議題になるとの見通しを示している。大統領が元慰安婦の賠償請求権に言及した場合、首相は「慰安婦問題は解決済み」との立場を伝え、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像の撤去も求めるとみられる。
首相はまた、日本統治時代の朝鮮半島から日本に連れて来られた民間徴用者の遺骨を年明けに返還する方針を表明。04年以来中断している日韓経済連携協定(EPA)の早期交渉再開を呼び掛ける。北朝鮮拉致問題の解決に向け、韓国側の協力も要請する考えだ。
15日午前、米ニュージャージー州パリセイズパーク市の市立図書館前。寒い中、支えられながら到着した李ヨンスさん(83)が「慰安婦キリム碑」の前に近付いた。ひざをついてキリム碑に彫られた英文を一つ一つ撫で、涙を流した。そのそばには李オクソンさん(85)が微動だにせず泣いていた。過ぎた歳月を振り返っているようだった。12日に米国に到着し、明るい様子だった2人は、遠い異国の地に建てられたキリム碑の前でついに号泣した。
今月初旬に工事を終えたキリム碑を日本軍慰安婦被害者が訪れたのは初めて。2人は水曜集会1000回を迎え、ニューヨークのニュージャージー韓国人有権者センターとクーパーバーグ・ホロコーストセンターの招待で米国に来た。
キリム碑には「日本軍に拉致され、慰安婦(comfort women)として、人々が絶対に目をそらしてはならない人権侵害に受けた20万人の女性を追悼する。人権を踏みにじった恐ろしい犯罪を忘れてはならない」という言葉が英文で刻まれている。
2人は「寒いから中に入ろう」という周囲の誘いを振り払い、キリム碑のそばを離れようとしなかった。李オクソンさんは、「感謝の気持ちをどうやって表現できよう。韓国もできないことを米国でしてくれるとは夢にも思わなかった」と話した。李ヨンスさんも、「すでに逝った人々にこの光景を見せてあげたい。今でも彼女たちが幸せであってほしい」と話した。
韓国人有権者センターの主導で09年から始まったキリム碑建立運動には、在米韓国人が参加し、建設費用1万ドルを集めた。しかし、キリム碑の建立は慰安婦の存在を知らなかった米国人にとっては寝耳に水だった。碑石は昨年10月に完成したが、住民が特定民族の追悼碑を建てることに強く反発し、照明工事が延期され、今月初めに正式に竣工行事が行われた。在米韓国人らの説得で、バーゲン・カウンティとパリセイズパーク市が勇断を下したのだ。
ジェームズ・ロタンド市長は、「2年前に日本軍慰安婦の存在を知って衝撃を受けた。学校と図書館があるここをキリム碑建立の場所に決めたのは、ここを通る学生が悲しい歴史を忘れないことを願うためだ」と話した。韓国人有権者センターの金ヨンチャン代表は、「海外に建てられる初の慰安婦被害者キリム碑」とし、「別の都市にもキリム碑を建て、米国社会にさらに伝えていく」と語った。
李オクソンさんと李ヨンスさんは、ソウル鍾路区(チョンノク)の日本大使館の前に建てられた「日本軍慰安婦平和の碑」をまだ見ていないが、日本が韓国政府に撤去を求めていることを知っていた。李ヨンスさんは、「顔も違い言語も違う遠くの米国人が関心を持っているのに、韓国政府が日本の撤去要求を受け入れるなら、歴史に拭えない罪を犯すことになる」と話した。
(時事ドットコム「日韓首脳「慰安婦」協議も=李大統領来日、18日に会談」より)
(donga.com[Japanese donga]「「韓国もできないことを…」米国で慰安婦の碑建立」より)
日本大使館眼の前に・・・”慰安婦像”韓国に撤去を要請 ニュースJAPAN
『18日の首脳会談について、韓国外交通商省は慰安婦問題も議題になるとの見通しを示している。大統領が元慰安婦の賠償請求権に言及した場合、首相は「慰安婦問題は解決済み」との立場を伝え、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像の撤去も求めるとみられる。』
『キリム碑には「日本軍に拉致され、慰安婦(comfort women)として、人々が絶対に目をそらしてはならない人権侵害に受けた20万人の女性を追悼する。人権を踏みにじった恐ろしい犯罪を忘れてはならない」という言葉が英文で刻まれている。』というが、それを証明する資料は無い。しかし、朝鮮の運輸業者たちが日本軍に提供したとする資料や証言は残っている。だから慰安婦問題の責任の一端は韓国側にもある。一方、日本国内において運輸業者たちの戦争への協力責任はマッカーサーによって免責され、独立後もその自らの手で責任を追及することがなかった。これの延長上で責任を追求しなければならない韓国側の協力者の責任追及も行えない。だから慰安婦問題は解決済みとは言えないだろう。