防衛省は30日、県内でのMV22オスプレイの飛行について、県が日米合同委員会で合意した運用ルール違反と指摘した318件について「合意違反があると確認することはできなかった」とする検証結果を県に報告した。
同省は「政府として米軍は合意に基づき飛行運用を行っている」との見解を示しているが、調査は写真などで検証できた範囲に限られており、「違反は全くなかった」と断言できる結果にはなっていない。と沖縄タイムスは語っているが、それは検証の方法論についての反論だろう。この場合、その方法論を提示しなければ反論にはならない。しかしタイムス側は「その事実を検証する方法論として、こうした方法をある」ということを提示していない。したがって「違反は全くなかった」への反論としての「断言できない」は成り立たない。
県が政府に調査を求めた昨年10、11月の期間の指摘のうち「学校や病院を含む人口密集地上空の飛行」は315件。うち防衛省が写真や航跡データを持っていた米軍普天間飛行場周辺の189件は「設定された飛行ルートをおおむね飛行し、(違反となる)垂直離着陸モードでの施設・区域外の飛行を確認できたものはなかった」と説明した。
那覇、浦添両市の人口密集地上空の飛行は県提供の写真を確認した結果、「垂直離着陸モードと断定できたものはなかった」と結論づけた上で、米側の説明として「悪天候に備えた計器飛行訓練のために飛行した」としている。
飛行が制限されている午後10時以降の3件は、沖縄防衛局が飛行自体を確認したものの「運用上必要でない夜間飛行であったことを確認できなかった」とした。
沖縄防衛局から回答を受けた県の親川達男基地防災統括監は「説明の中身を精査したい。県が一義的に求めているのは、普天間飛行場の危険性除去であり、オスプレイの配備見直しと配置分散だ」と述べた。
米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備先として横田基地(東京都福生市など)などが浮上し、政府は新たな難題を抱えることになった。墜落事故への不安から、周辺自治体や住民は反発している。とはいえ、もう一つの候補である沖縄県の嘉手納基地に配備されれば県民の怒りは計り知れず、普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設問題にも深刻な影響を与えかねないと沖縄側のメディアは見ている。
「米国から連絡はなく、横田に配備されるとは全く聞いていない」。菅義偉官房長官は三十日の記者会見で、こう強調した。記者から「横田基地に配備されても安全に問題ないか」と問われると「聞いていないので、実現性はないと思っている。これ以上答えることは控えたい」と口をつぐんだ。
「米国から連絡がないので分からない」との言葉は、政府の常套句だとする見方もある。米海兵隊用の仕様であるMV22オスプレイの普天間飛行場配備計画は長年指摘されてきたが、政府が公式に認めたのは配備の間近だったからだろう。しかし常套句=公式に認めないという公式があるといえる証明はされていない。日本政府とアメリカ政府との間で長年にわたりオスプレイ配備の話し合いがあり、それを公式に発表していなかったことを裏付ける資料は誰も提示していない。あくまで情況である。
CV22は沖縄駐留の陸軍特殊部隊の輸送などに使われるとみられ、配備先は嘉手納基地が有力ではある。
だが、同県内には既に普天間にMV22が配備され、三十日にも追加配備予定の十二機が米軍岩国基地(山口県)に搬入された。さらなる負担の上乗せは沖縄県民の怒りの火に油を注ぐとメディアの見ているらしい。
このため、同じ空軍基地の横田が配備候補地として浮上した。防衛省幹部は「決まったわけではないが、沖縄の負担軽減との政府の考えには合致する」と指摘する。だが、騒音被害などで苦しんできたのは、横田の周辺住民も同じ。基地周辺の福生市など五市一町で組織する対策連絡会は三十日、配備計画に関して事実とすれば「到底容認できない」として、外務省と防衛省に撤回を要請した。
配備先は二〇一四年初めまでに決まる見通し。政府が普天間飛行場の移設先として計画を進める沖縄県名護市辺野古の埋め立て申請の可否を、仲井真弘多(なかいまひろかず)知事が判断する時期とも重なる。CV22の配備先によっては、政府が苦しい立場に追い込まれる可能性もあるらしい。
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日常、公民館で発生する騒音の方が米軍の航空機より煩い。そのため窓を締めざるを得ない。そうした自らの下半身の事情には蓋をして、オスプレイ配備を声高に叫ぶ。野嵩の住民は、どういう了見でこの世に面を晒しているのだろう?
宜野湾市配備反対委員会の重要メンバーは「配備に反対しても配備するのだからどうしようもない」などと泣き声で語っているのをテレビで見て、呆れてしまった。数年前斜め向かいの公民館での青年団のエイサーの練習の音があまりにもうるさかった。今の普段の公民館からの騒音は窓を締めればどうにか防げるが、当時は窓を締めても、テレビの音量は50でも聞きづらかった。それ以上の音量では見る気も起きなかった。それが平日毎日の19時から22時過ぎまでだったのたまったものではない。そこで練習は土日だけにしてくれないかと申し入れた。すると自治会長は「なぜやめなければならない」と突っ返され、青年会長は「周辺の人々の同意を得ている」と言われた。親に聞くと「そういった話しはなかった」らしい。その件は、それで終わった。
それで「配備に反対しても配備するのだからどうしようもない」とする配備反対委員会の重要メンバーの発言を聞いて、呆れ、「どういう了見でこの世に面を晒しているのだろう」と思ったしまった。同時に、これが”因果応報”というものかも知れないとも思った。
そう思ったとき、ふと待てよ、「こういう心情はやばいな」とも思った。周南市の保見容疑者なら「オスプレイ配備に独り喜ぶ田舎者」という川柳でも詠んだのではないだろうか。そうではなく、部落民と対立していた保見容疑者ではなく、我が身を省みることのない市民の言動に呆れただけなのだ。
しかし、我が身を省みることのない市民の言動に、これ以上付き合うと、次第次第に心も汚れて行きそうな気がする。そこで今日を以てオスプレイ配備反対についての報道に接するのは極力避けようかと思う。