社民党の福島瑞穂党首は25日の常任幹事会で「(2012年12月の)衆院選、参院選の敗北の責任は党首である私にある。その責任をとり党首を辞任する」と表明した。党内には福島氏を慰留する声もあり、辞任に至らない可能性もある。
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以下「社民党・福島党首が辞任、そして誰もいなくなる? | ザ・リバティweb」より
社民党の福島瑞穂党首が25日夕、辞任を表明した。今回の参院選でわずか1議席にとどまり、衆参合わせて5議席となったことの責任を取った形だ。
社民党の前身である日本社会党は、戦後間もない1945年11月に結成され、左翼ブームの中で1947年には第一党となり片山哲内閣が誕生。しかし内部対立が絶えず、1年足らずで瓦解した。その後も野党第一党として勢力を保っていたが、1994年、自社さ連立政権ができると、村山富市首相が押し立てられた。
社会党にとっては悲願の首相誕生だったが、皮肉にも与党に入り、首相を立てたことが、社会党のピークでもあり崩壊の始まりだった。村山首相は就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、それまでの社会党の主張と正反対の宣言をした。その結果、民意は社会党から一気に離れ、内部対立も激化。選挙のたびに議席が激減した。
結局、1996年1月に村山内閣は総辞職、党名を社会民主党と改称した。しかし、旧社会党メンバーは民主党など他党に流れ、同年10月の衆院選ではわずか15議席と、小政党に一気に転落した
福島氏が党首になったのは2003年。テレビ討論などで舌鋒鋭く与党を攻めたてるなど、孤軍奮闘していたが、選挙のたびに議席を減らし、かつての隆盛は見る影もなかった。
社会党、社民党の凋落ぶりを見ると、戦後日本の左翼勢力の「正体」が明らかになるにつれ、有権者が賢い選択をしていったことが分かる。
すでに1990年代初頭に旧ソ連が崩壊し、社会主義国が崩壊して、東西冷戦が終わったにもかかわらず、日本においてはバブル崩壊後の「失われた20年」で、社会主義の「亡霊」が付きまとっていた。その最後の結集が民主党による政権交代だったのだろう。
社会党・村山首相と同じく、民主党も鳩山・菅首相を生み出したことで「化けの皮」がはがれ、左翼リベラルの正体が明らかになった。
福島氏も、その本心は明らかな共産主義者であり、中国、北朝鮮と同質のものを持っていることが、守護霊インタビュー『そして誰もいなくなった―社民党 福島瑞穂党首へのレクイエム―』(大川隆法著)で白日の下に晒された。
同書のタイトル通り、霊言収録わずか2週間で、「レクイエム」を奏でることになった。そして「誰もいなくなる」時期も近いだろう。
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55年体制を顕教と密教の関係とする見方もある。自民党が顕教で社会党は密教である。顕教の背景にはアメリカがいて、密教の背景にはソ連がいた。1991年12月に
ソ連が崩壊すると、それを背景にしていた社会党の密教としての役割も終わる。その3年後の1994年には自社さ連立政権ができ、55年体制は崩壊した。同時に東西冷戦のもとでの同盟関係であったアメリカとも新たな関係を求められることになる。また、それが「敗戦後にできた秩序の維持」を新たに問い直す機会でもあった。
アメリカとの同盟関係重視を言うのであれば、それは単なる「敗戦後にできた秩序の維持」を言うのに等しい。これではいわゆる沖縄問題は解決されない。では沖縄問題を解決するために米軍を撤去させる。つまり敗戦後にできた秩序は維持しない。ではそれに代わる秩序とはどのようなものなのか。もちろん、その秩序とは防衛という分野に限らない。そうした秩序の問題を、1994年から考える時代に入った。
その系譜で民主党政権の誕生をみている。『社会主義の「亡霊」の最後の結集』などではなく、敗戦後に出来た秩序の変革を無意識に求めていた民意の反映だったろうと思う。期待感が大きかっただけに、うまく政局運営ができなかった民主党への裏切られて感・失望感感もまた大きかったようだ。
【顕教】
仏語。言語や文字で明らかに説いて示した教え。密教以外の仏教のこと。また、真言宗では釈迦の説いた教えをいい、天台密教では一乗に対して三乗の教えをいう。顕宗。⇔密教。
【密教】
仏教の流れの一つで,顕教,すなわち広く民衆に向かって開かれ,その世界観を明瞭な言葉で説く通常の仏教に対し,自己を非公開的な教団の内に閉鎖し,秘密の教義と儀礼を師資相承によって伝持しようとする秘密仏教をいい,象徴主義的儀礼ないし観修法によって宗教理想を達成しようとする点に特徴をもつ。その起源はあるいは仏教以前のベーダの宗教,ことにブラーフマナの祭式神秘主義に求められ,さらにその根底には世界の女性原理的実在性ないしその多様な発現に対する根源的信頼が看取される。