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地元の人が見たー沖縄 〜"焦土の島"から"基地の島"へ〜 戦後史証言プロジェクト第1回

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戦後史証言プロジェクト
【番組の概要】
 2015年、日本は戦後70年を迎える。「戦後日本」は、今大きな試練の中にある。震災・原発事故からの復興、低迷が続く経済、領土問題などで混迷する外交…。私たちは、戦後何をめざしてきたのだろうか—。政財界から一般市民まで、新たな証言を記録し、廃墟から立ち上がった日本人の姿を描く大型プロジェクト「戦後史証言プロジェクト」が7月にスタート。Eテレの大型シリーズ「日本人は何をめざしてきたのか」を3年にわたって放送するほか、取材で得た貴重な証言を「戦後史証言アーカイブス」としてウェブでも公開、未来への遺産としていく。

 第1回は「沖縄〜"焦土の島"から"基地の島"へ〜(7月6日(土)午後11時〜翌0時30分)」でした。

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 地上戦でかつてない犠牲者を出した沖縄。戦後、捕虜収容所から解放された人々の前に広がっていたのは、アメリカ軍によって囲い込まれた広大な軍用地だった。いま移設問題で揺れる普天間基地の場所も、戦前は田畑と村だった所に、アメリカ軍が滑走路を建設していた。朝鮮戦争後、"銃剣とブルドーザー"と呼ばれる土地強制収用が厳しさを増す。これに抗議の声を上げたのが、演習場建設のために農地を奪われた伊江島の人々だった。阿波根昌鴻が中心になって沖縄本島に乗り込み"乞食行進"を展開。これが引き金となり、大規模な反基地闘争"島ぐるみ闘争"の火が付いた。しかし、相次ぐ抗議にも、土地が還ってくることはなかった。その後、海兵隊の基地となった普天間、1972年の沖縄返還後も基地は固定化され、墜落事故、アメリカ兵による犯罪など、過重な基地負担に苦しみ続けている。普天間基地と伊江島の人々の証言を軸に、基地の島・沖縄の戦後史を描く。
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 地元宜野湾市の番組であったので、特に目新しい発見はなかった。そのかわりいくつか引っ掛かる点があった。

 まず"島ぐるみ闘争"…これは反基地闘争というより集団パニックだろうと思う。というのも、この闘争は土地強制収用が直接の引き金になったのではなく、米軍の土地の一括支払いの計画を背景にして、沖縄全島に蔓延していたという「沖縄自体がアメリカに買われる」という妄想的恐怖が、阿波根昌鴻らの"乞食行進"などで培養されたのではないかと思うからである。

 この集団パニックは"島ぐるみ闘争"から10数年後の沖縄市で再演された。いわゆるコザ暴動だが、このパニックも恐怖と、そのときのある行動が原因だったと思える。交通事故による死亡者が沖縄人であった場合、運転手がアメリカ人なら裁判すら行われない。殺された当たり前というひとつのストーリーの宣伝と扇動、それに思考と行動を拘束された集団がパニックに陥るにはあとは切っ掛けを作ればいい状態、それが当時のコザで起こった。立て続けのアメリカ人に交通事故、事故による沖縄人の死亡、そして集団を牽制するための発砲、この自動小銃の威嚇射撃がパニックのスタートとなった。

 50・60年代に集団パニックが沖縄で起こったわけだが、沖縄ではこれを沖縄人のある意思に基づく行動だったとしている。もちろんパニックは、昔はヒステリーと呼ばれ、意思が及ばない行動を指す。

 番組では普天間基地の土地地主の方が、フェンスの外から数人で歩いている米軍人の姿を指して「あれでも国益が守られているのですか」と取材陣に絡んでいたが、どういうシーンなのか今一つ理解しきれなかった。米軍という他国の軍隊、つまりアメリカ軍人がいることは国益ではないだろうと言いたいのか、それに関連して「私のプライドは傷ついている」ことは国益に反すると言いたいのか?

 番組の結論としては、沖縄に米軍基地があるのは、日本政府の意思であるかのように語られていた。それはそうだろう。何しろ日本における米軍の取り扱いについては、国と国との話し合いによる。そこに政府という組織が介入するのは当たり前のことである。

 だから沖縄に米軍基地があるのは政府の責任であるのは当たり前だしか言えず、同時に、そうした思考法で留まっているのは子どもともいえるはずである。政府は行政のトップである。住民や国民が行政という組織を作るということはあるが、行政が国民や住民を作るということはない。だから政府の責任とは国民の責任と同義であるはずで、米軍基地が沖縄に集中しているのは、国民(沖縄県民を含む)ないしは住民の責任だとしなければならいはずだ。

 それでは沖縄県民は国民に対して米軍基地の撤去を訴えているだろうか。その形跡は戦後60年あまり一度も為されたことはない。だから沖縄に米軍基地が集中していても何ら不思議ではない。

 戦後、日本の統治機構は「敗戦後に出来てしまった秩序を維持する」ことに専念してきた。大多数の国民も明確な意思表示はなかったものの、その姿勢には賛成を示してきた。出来てしまった秩序には、国内に米軍が存在するのが当たり前である。さすがにナショナリズムなどもあって本土ではかなりの反対運動が起きた。それを政府は自衛隊の裏に米軍を隠すという方式で対応してきた。隠せないのは沖縄だけで、米軍は目立ってしまっている。それが沖縄人の癇に障るのだろう。 

 敗戦後に出来てしまった秩序には民主主義(日本的集団主義)がある。明治末から大正にかけて、日本にも、曲りなりにも個人主義の芽生えがあった。その個人主義は欧米のキリスト教的個人主義ではなく、儒教的個人主義とも呼ぶべきものだが、戦後日本の組織が絶対という感覚は当時の人にはなく、大手銀行の番頭ですら、故郷の両親が高齢なので、里に帰って農業に従事したいということで、あっさりと番頭の職を辞したりしている。こうしたことは戦後一切ない。

 集団主義がもっとも目立つのは行政である。政府は行政のトップだから、そこでの決定は、行政というトップダウンの組織では、絶対のはずである。しかし集団主義的行政機構では、トップの決定を、その部下(県知事や市町村首長)が平然と拒否したりしている。大体は、政府の決定を、知事などが「私一人では決めかねるので関係各位と検討させていただいた後ご返事さしあげたい」である。こうした現象は集団主義社会とその精神構造に対応した組織構造に生きる人間がいないと起き得ない。

 ほかにも敗戦後に出来てしまった秩序はあるが、これらの秩序とは異なる秩序を提供できないのであれば、米軍基地の撤去もあり得ない。沖縄にそれができる人材がいるわけでもないし、それができる県民であるとも思えない。常に貴方(政府)任せだし、せいぜいのところ、今まで通りパニックを起こしたそれをメディアが取り上げたり、政治屋として騒ぎ立てたりの繰り返しが続くのだろうと思う。

 騒ぎを起こせばどうにかなると思っていればまったく子どもである。ママ的タイプの人はかまってくれるだろう。





















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