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ルワンダの悲劇─つくられた「対立」が80万人の命を奪った 沖縄は自ら殻に籠る

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■世界一受けたい授業
2013年4月27日放送 19:56 - 20:54 日本テレビ
出演者 
 有田哲平(くりぃむしちゅー) 上田晋也(くりぃむしちゅー) 堺正章 蛯原友里 北山宏光(Kis-My-Ft2) 飯尾和樹(ずん) 内山信二 竹内力 関根勤 ボビー・オロゴン 吉木りさ 水卜麻美

※沖縄県ではきょうの放送。

□3時限目 本日限定 特別授業
 ホテル・ルワンダの主人公のモデルポール・ルセサバギナ先生が、武器を使わずに1268人を救った映画では語られなかった交渉術について語る。

武器を一切使わず1268人を救った交渉術とは?
 ポール・ルセサバギナ先生が、ホテル・ルワンダで語られなかったルワンダ紛争で武器を一切使わず1268人を救った交渉術を紹介。紛争はフツ族とツチ族争ったことで発生、しかしフツ族とツチ族に何も違いはなかったと話した。

 ルワンダでの虐殺が起きた時、ポール先生はミルコリンホテルの支配人を務めていた。ミルコリンホテルにはフツ族の司令官など地位の高い人たちと友達関係を築いていた。大統領暗殺事件が起きると、ツチ族の虐殺が始まった。ポール先生はツチ族を殺せと命令された時に、交渉によって命を救った。その後、国連軍が来たが外国人しか避難することが出来なかった。

 ポール先生は虐殺が起きていた為、兵士を落ち着かせるためにホテルにあるお酒を兵士に振舞った。その後、今までの関係から虐殺を先導していた司令官が助けに来てホテルにいた人たちは救われた。ポール先生は普段から長い期間をかけて信頼の貯金をしていたと語った。最後に、日本は美しく平和な国だが、世界のどこかで沢山の人が殺されていることから目をそむけないで欲しいと話した。


 4月27日放送の「世界一受けたい授業」で、映画「ホテルルワンダ」のモデルとなったポール・ルセサバギナ氏がゲストで出演し、番組では、ルワンダでどのようなことがいったい起こったのか、ポール氏が何をしたのかについて、映画のワンシーンもまじえて紹介がされていた。

 1994年にアフリカの小国であるルワンダで起きたこの想像を絶する悲惨な事件。

 ルワンダでは、大多数を占めるフツ族と、少数波のツチ族がいたが、ツチ族とフツ族の穏健派が100日間で80万人もの人々が虐殺された。当時の人口が750万人と言われ、実に全国民の10%以上が犠牲となったことになる。

 番組では紹介されていないが、1972年には、ルワンダの隣のブルンジで、ツチ族の政権が、15万人のフツ族の人々を虐殺する事件も起きている。

 悲惨な血で血を争う内紛を繰り広げた、フツ族とツチ族とは?

 番組の中でポール氏が、「フツ族とツチ族の違いはなにだと思いますか?」とゲストたちに質問する。

 それに対して「宗教の違いがあるのでしょうか?」と誰がが答えた。普通は、誰もがそう思う。

 ところがポール氏の答えは、初めて聞く人にとっては衝撃的なものであった。「実は、フツ族とツチ族は、なんら違いはないんですよ。民族も、肌の色も、宗教だってみんな同じなんです。それがなぜ2つにわかれてしまつたのか。それは1900年ごろに、西洋人が私たちの国を植民地にした際に、国民が一つにまとまらないように2つに分けてしまったんです」

 もともと、民族や宗教も、文化も、生活様式も、言語も肌の色も、あらゆる面で何も違いはなく、まったく同一の民族だったのである。

 それが19世紀に、ヨーロッパ人が入ってきて、「民族が一つだけだと国を良くする討論が行われない」などを理由にして、職業などの違いによってフツ族とツチ族に振り分けられた。要は、支配しやすいようにしたのである。

 どちらがフツ族なのかツチ族なのかは外見ではまったくわからず、身分証明書を見なければわからなかった。

 人為的に無理やり2つに「分類」されて、「対立」することを仕掛けられたことが始まりだった。

 1990年のルワンダ紛争以来、ルワンダ国内では、それまでも根付いていたフツ至上主義が台頭し、ツチ族に対する反感が強まっていた。そんな中で、「和平合意」が行われようとしていたにもかかわらず1994年に、フツ族のハビャリマナ大統領の乗った旅客機が、何者かによって撃墜された。

 犯人は不明(フツ族急進派の側近が有力視されている)だったが、フツ族政権は「ツチ族による犯行」と決めつけ、それを契機に、ツチ族に対しての虐殺が始まったのだ。

 100日間で80万人、すなわち1日あたり8000人が虐殺された計算になる。

 虐殺は、過激派を先頭に、政府軍や民兵組織インテラハムェなどだけでなく、ごく普通のフツ族の民間人も隣人を虐殺した。中には、家族でも殺さなければならない状況にも追い込まれた。

 対象となったのは、ツチ族だけでなく、穏健派のフツ族やツチ族を匿うフツ族も多数犠牲となった。すでに、急進派らによって虐殺対象は大統領暗殺事件の2年も前から周到にリストアップさていたという。

 銃や剣だけでなく、ナタでアキレス腱を切って動けなくしてからなぶり殺すやり方も多かったという。

 ポール・ルセサバギナ氏は、首都キガリにあるミルコリンホテルの副支配人であった。

 大統領が暗殺されたときに、車で家族のもとへ帰る道すがら、ラジオから「大統領を殺したのはツチ族だ」「ツチ族のゴキブリどもを殺せ」と繰り返すのを聞き、戦慄が走った。なぜなら、彼の妻はツチ族だったからだ。

 それから、家族と、近所の知人、さらにホテルに命からがら逃げ込んだツチ族やフツ族穏健派など避難民あわせて1286人の命を守る戦いに挑んだ。

 番組では、幾たびかの生死を分ける危機的状況を救ったのは、彼の機転とホテルの支配人として培った「交渉術」だった紹介されていた。

 司令官に「無抵抗の人間を殺しても何もならないでしょう。お金を払います」と金を渡し、家族と避難民を取り返したり、ホテルを包囲し、今や襲撃せんと興奮する兵士たちに高級な酒を振舞って落ち着かせたりした。

 ポール氏の「どんな人でも、笑顔でお酒を飲んで話し合えば、相手を殺そうなどと思わないでしょう」という言葉が印象的だった。

 また、それまで長い間で築いてきた人間関係、信頼関係が何度も命を救うことにつながった。それをポール氏は「信頼の貯金」と言っていた。

 たびたび兵士や民兵などの襲撃を阻んだのもそのおかげだが、最後は、昔ホテルの常連だったフツ族の最高司令官が駆けつけて全員が助かることになる。

 その後、ルワンダでは、民族を身分証明書で分けることも、フツ族、ツチ族という用語の使用も禁止され、教育も施され、復興がされてきているという。

 しかし、近隣諸国との紛争や汚職・腐敗の問題が後を絶たないこと、さらにアフリカの他の諸国でもそうなように、戦争や紛争があった国が貧困から抜け出すことは並大抵ではないということも見ておく必要があろう。

 ルワンダの大虐殺については、当時、現地で取材したジャーナリストが映像なども撮っていたが、一部をのぞいて大きくとりあげられてこなかったという。また、この問題をとりあげた映画「ホテルルワンダ」も、メジャーな映画配給会社は鼻もひっかけなかったという。

 虐殺された80万人という人数は、日本でいえば、東京都の世田谷区の人口、あるいはアメリカならばサンフランシスコ市に匹敵する人数だ。もし、万一、世田谷区やサンフランシスコ市で、街の人すべてがルワンダと同じようなことになっていたとしたら、世界はどういう反応だったろうか。

 アフリカでは、ルワンダ大量虐殺事件がきっかけとなり、紛争は、第一コンゴ戦争、そして98年8月からの第二次コンゴ戦争(アフリカ大戦)へと発展し、各国、各勢力の介入によって泥沼化、和平協定が締結される5年後の2003年7月までの5年間で、戦死者が数十万人、飢餓や疫病、治安の悪化などにより500万人にのぼる死者を出したという。

 また、03年2月に勃発したスーダン西部のダルフール地方の「ダルフール紛争」では、5年間で20万人が死亡した。

 他にもアフリカでは、さまざまな内紛や内乱、内戦があり、死傷者の数は枚挙に暇はない。

 難民問題も深刻で、2009年のアフリカの難民は集計できるものだけで約230万人。国内避難民は約650万人にのぼる。ソマリアでは56万人、スーダンでは41万人だ。

 貧困と食糧不足では、アフリカの人口10億人のうち2億人が栄養不足に陥っており、コンゴ民主共和国では76%の国民が栄養不足となっている。

 医療不足、医師不足も解決が間に合わない中で、HIV感染者が増加し、感染者が最も多い南アフリカでは570万人にものぼるという。

 なぜ、このような事態となつているのか。

 その大元は、先進国、大国の植民地だったこと、それらの国の都合で、国や国民が翻弄され続けてきたことが最大の要因となっている。ヨーロッパ諸国が、植民地とした際に、それぞれの国の歴史や文化、宗教などを無視して、勝手に境界線を引き、中には、線引きで引いたような真っ直ぐな国境ができた。

 おかげて、まったく違う、文化・宗教を持つ民族が、一つの国にまとめられたのである。一方で、ルワンダのように、同じ民族なのに、人為的に2つの民族がつくられた国もある。さらにそれに加えて天然資源の収奪争いをめぐって、大国の利権争いの代理戦争とし、各地で内戦が勃発してきた。


 ところで日本では沖縄県民だけが異民族を主張している。その内容はルワンダと同じで、同じ民族なのに人為的に異民族論が言われ続けている。沖縄と本土とは宗教も言語も同じであり、その同一性は徳川時代初期の韓国人ですら見分けがついたほどである。また文化や習俗も微妙な違いはあるものの同じものだと認識されている。

 今の沖縄県民が居民族を主張している原因のひとつは大国アメリカにある。彼らによって沖縄は本土と国境なようなものができた。その境界線によって、以前から県内に内在していた琉球藩士族系統の不満を再燃させ、試験管の中でのみ通用する独立国家琉球論が形成されていった。その傾向はアメリカ人にとっても都合のいいものだったらしい。これが今も続いている。滑稽というほかない。

























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