国家が戻ってきた。1945年以降の多国間の秩序は崩壊しつつある。どこを見ても、国家主義が勢いを増している。既成勢力も新興勢力も、国家主権という伝統的な概念を掘り返している。こうした国々は、1648年のウェストファリア条約が生み出した国際体制を取り戻したいと考えている。彼らは幻想を追い求めている。
共産主義が崩壊した後、しばらくの間は、未来はポストモダン体制に属していた。この体制は、政治組織に欠かせない基盤だが、共通の利益を認識する。各国政府は協調的な安全保障と繁栄を支持し、国益という狭い概念を放棄する。近年の混乱の後でこう言うのは奇妙に思えるが、欧州連合(EU)は新たな国際秩序の模範と見なされていた。
この体制には非現実的な夢想以上の実体があった。グローバル化は経済的な相互依存を深めた。国家に対する脅威は、気候変動から流行病、テロリズムと非通常兵器の拡散から大量移住に至るまで、はっきりそれと分かる国際的な特性を備えている。
移動する資本、国境を越えたサプライチェーン(供給網)、そしてデジタル時代のつながりは、個々の国から力を奪う。失われた権威を取り戻す方法は、各国が協調して行動することだった。
■絶対主権を好む新興国
ところが、ムードが変わった。「台頭する」国は、「台頭を遂げた」国になると、ルールに基づく制度を受け入れるのを渋るようになった。そのルールが主に既成勢力の大国によって書かれたものである以上、なおのことだった。一方、米国は「世界の警察」の役割から退きつつある。ユーロを救うために大幅な統合深化が求められているポストモダンの欧州でさえ、国家と超国家の緊張と格闘している。
新たな大国――中国、インド、ブラジル、南アフリカ共和国など――は、ジョン・ロールズの協調的な世界よりトマス・ホッブズの絶対的な主権を好む。これらの国は、19世紀の世界のような景色を思い描いている。力というものが、最大の経済と軍隊を持つ国々に属し、競合する同盟関係によって均衡が保たれていた世界だ。
プーチン大統領が専制国家を再び築こうとしているロシアも、ほとんど同じ見解を抱いている。主権は不可侵なのだ。ウェストファリア体制の内政不干渉の原則に従うと、世界はシリアの残忍なアサド政権をそのままにしておかなければならない。
■多国間体制に距離を置く米国
現在の体制を設計した立役者であるにもかかわらず、米国は常に、自国の行動の自由を制限することに微妙な感情を抱いてきた。だが、かなり最近まで、自国の好みに合うように国際的なルールを定めることで、矛盾する考えを両立させることができた。しかし今、米議会は主権を侵害する恐れがあるとの理由から、全く当たり障りのない国際条約にさえ調印することを拒んでいる。
オバマ大統領率いる米政権は口先では、ベルリンの壁崩壊後にブッシュ元大統領が一時思い描いた新しい国際秩序に賛同する。だが、台頭する中国に挑まれ、気難しいロシアに妨害されている米国は、国際主義に嫌気が差している。
一極体制の時期は、自給自足の超大国の時代に道を譲った。米国はどの国にも増して、世界と距離を置くことができる地理、天然資源、経済を備えている。米国は今、壮大な多国間体制よりも有志連合を好むようになっている。
■国家主義に回帰したい欧州諸国
欧州では、事情はもっと複雑だ。ユーロ圏17カ国はより多くの主権の共有化にコミットしているが、ユーロ危機は国家主義の亡霊を呼び覚ました。フランスのオランド大統領は、欧州政治同盟の必要性について雄弁に語ったかと思えば、次の瞬間には、フランスの経済問題に対する欧州委員会の干渉を激しく批判する。
EUに反感を抱いているのは、英国の保守党だけではない。経済的なストレスと不安の時代にあって、大陸全土の国家主義者が魅惑的な調べを奏でている。国が抱える国内問題を「部外者」――それが移民であれ、ブリュッセルの官僚であれ――のせいにすることほど容易なことはない。
これに対抗する見方もある。筆者は先日、外交政策を専門とするアイルランドのシンクタンク、国際経済問題研究所(IIEA)がダブリンで開催した主権とグローバル化に関する会議で、そうした見解を耳にした。
アイルランドは世界金融危機の後、大変な苦難に耐えた。だが、EUとユーロ圏に対するコミットメントは揺らいでいない。大半のアイルランド市民は今も、ダブリン大学トリニティカレッジの学者、ジョン・オヘイガン氏に同意する。同氏は会議で、アイルランドは国家主権を共有することで、自国の利益を追求する力を高めたと語った。
この相互依存は、小国のみならず、大国にとっても避けられない現実だ。国家のムードは変わったかもしれないが、グローバル化の事実は変わっていない。どちらかと言えば、国家権力が非国家主体へと拡散する動きは加速した。
■世界共通の目標に生かすための行動を
高齢化が進み、世界経済に占める割合が急激に低下する大陸として、欧州は自分たちの価値観と利益を守るために一体となって行動しなければならない。中国は、気候変動の荒廃や、開かれた市場と世界的な供給ルートへの脅威に非常にもろい。米国は、比較的自給自足が成り立っているにしても、自国の繁栄と安全保障に対する遠方からの脅威を避けられない。
我々の元に残された矛盾は、国家主権が大いに尊ばれる一方で、国家主権というものを行動する能力と厳密に定義した場合、主権が次第に効果を失っている世界になってしまっていることだ。世界の国々は、古い秩序を新しい取り決めに改め、国家の目標だけでなく共通の目標を認めることに、避けられない利害を共有している。
だからと言って、各国が実際にそうするわけではない。歴史は、政治家が幻想を追求することを選んだ不幸な事例に満ちている。欧州は来年、初期のグローバル化時代が流血のうちに終わってから100周年を迎える。
※ウェストファリア条約
三十年戦争(1618‐48)を終結させた条約。1645年からドイツのウェストファリアWestphalia(ドイツ語ではウェストファーレン)地方のミュンスターとオスナブリュックとに分かれて講和会議が開かれ,各国の利害が衝突して長引いたすえ,1648年10月24日に調印された。参加国は,ドイツの領邦国家も一国と数えて,総計66国で,それまでのヨーロッパ史上最大の国際会議であった。領土関係については,スウェーデンは西ポンメルンとブレーメン大司教領,フェルデン司教領,ウィスマルを獲得し,フランスはメッツ(メス),トゥール,ベルダンの3司教領とアルザスのハプスブルク家領の領有を認められた。
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経済のグローバル化が国家主権を危うくしている。彼らは各国で税金を収めない。経済活動の環境を自らの投資なしに揃えさせ、予め存在している市場から利益を得ている。国家のように国民を守る主体でもなく、国民に社会的利益を還元する主体でもない。ただただ各国で利益を貪り続けている組織である。この組織に似たものとしては近世イタリアの都市国家があるが、しかし、その都市国家群は住民を守る主体であったし、かなりの利益を社会に還元している。それに対してグローバル企業は似て非なる存在である。