日本では他人に頼らず、あるいは頼っても助けてもらえず餓死する人が多くなった。タイでは、他人に頼らずに餓死する人がいるのか?
日本では、失業したり、身の周りに頼る人がいなくなったりすると、真冬に凍死したり、餓死したりする人が結構たくさんいるようです。タイ国内で凍死は難しいとしても、餓死する人はいるのですか?
もちろん海や山で遭難して助けが来ないなどの場合に餓死することはあるでしょうから、そんな特殊な場合は除いて、自分の足で食べ物のありそうな場所に行ける場合でも、人に助けを求めたりせずに餓死してしまう人はいるのか?
日本人は過剰に自分自身に責任を感じて他人の世話になるよりも、あえて死を選ぶような部分があると思うのですが、タイ人の場合は餓死までするでしょうか?
タイでも飢え死にはある。お坊さんは自ら飢え死してミイラ(即身仏)になる。普通は飢餓状態になったら強烈に生きようとすると思うのですが、老衰から結果的に
餓死に至る。また、他人の世話になるより死を選ぶというタイ人もいる。飢え死には、タイ人とか日本人という国民性ではなく、個人の性質に起因するものなのでしょう。
タイでは弱者救済や徳を積むという宗教的な教えからセーフティネットがしっかりしている。
ラチャダムヌン・ボクシングスタジアム近辺のパリナヨック寺で、お金のない人に開放して、托鉢で集まった食べ物を分け与えている。寺の食べ物を家に持って帰ってはいけません。業が深いと忌み嫌われます。
ローン・ターンと呼ばれる地域の慈善団体による食料や薬の支給が、曜日と時間を定めていろんな場所である。区の役所に相談すれば、困りごとに応じて、しかるべき場所や団体を紹介してくれる。
たとえば年とった両親の面倒をみられず困っている場合、状況によっては老人ホームを紹介してくれる。
バーン・バンケーBan Bang Khaeという有名な老人ホームはお金がなければ相部屋、月1500バーツ(約5000円)払えば個室が与えられ、三度の食事とともに面倒をみ
てくれる(電話:0-2413-1141。タイ国外からかける場合は、最初に66=国番号を付けて0を取ります)。
このように弱者に対する救済は充実していますが、それでも助けを求めない人はどうなるのでしょうか。
一般に、タイ人は他人に干渉しませんが、自分のこと以上に関心は持つ。「あそこの家、何で電気を灯してないんだろう」「なんで窓を開けているんだろう」だれに命じられたわけでもないのに、諜報活動が始まる。関心は行動へと駆り立てます。次はその家まで足を踏み入れ、「手助けが要るか?」「食べるものがなければどこそこの寺へ行けばいい」と、親身になって相談に乗る。お節介なのか、だれかにコトの成り行きを喋るためのネタなのかは知らないが、いい意味での「監視の目」が自死への社会的抑止力となっているようだ。