フジテレビの番組「ノンストップ!」で、西川史子を医者に育てる西川家・家訓 勉強編を紹介していた。西川史子の母・令子さんは、主要教科全てに家庭教師を付け、「勉強ができないのは恥ずかしいこと」と教えていた。更に勉強の時間を作るために、「体育の時間は全力で走らず体力温存を」とも教えていた。更に図工・家庭科の宿題が出ると、提出物はプロに任せ、勉強の時間を確保していた。
西川史子の家訓を振り返り、スタジオトークが行われ、設楽統は、「これは最低の教え」と切り捨てた。西川史子は、今でも体育が出来ないのが芸能界で使えるが、やっておけば良かったと語った。カンニング竹山は、西川史子はポストデヴィ夫人になると述べた。三木哲男婦人公論編集長は、西川史子の母は本気で娘を良くしようと思っていたとコメントし、今の子たちは親に強制されないで何も見つけられない子も一杯いると述べた。西川史子は、自分の子供が出来たときは教えたくないが、きっとこの通り教えるだろうと述べた。
図工・家庭科の宿題の提出物は「手縫いの雑巾3枚」だった。そこでふと「学校の清掃は生徒が行うものか」と疑問が浮かんだ。
生徒に学校を清掃する義務はない。ただ、昭和36年頃に「掃除も社会的規範育成のため必要」とする判決があるらしい。学習指導要領には清掃活動のことは記されていないので、学校や教師などの清掃の指示を無視しても、それを問う権利はないだろうと思う。
日本以外の学校で清掃活動があるのは、タイ国の一部くらいらしい。学習指導要領には清掃活動のことは記されていない。つまり、掃除は授業ではない。ただ、明治期に学制が発布されて以来の慣習であるらしい。それが一見、授業であるかのように思えることはあるだろうと思う。その思いは裁判官も同じで「掃除も社会的規範育成のため必要」だとしたのだろう。でも「公共の場で所構わず物を捨てない」などは社会的規範育になると思うが、そうされた場所を掃除することは社会的規範育なのだろうか。
生徒が学校の清掃を行うことによって育成される社会的規範とはどのようなものだろう。また、たとえば自分の部屋すら掃除の出来ない人間は、社会的規範を身につけていない人間だと断定しきれるというのだろうか。
現在、多くの企業では、清掃は外部委託である。また、家庭の掃除は家事という名で主に女性が行うものとする社会通念がある。社会通念は社会的規範ではないというのだろうか。
ここ数年、夜間舗道された少年たちなどに、学校や公共施設などのトイレの清掃を命ずる事案が多く散見します。この場合は罰則です。だとするなら生徒が学校を清掃することも、また罰則と規定しなければならないはずです。こうした清掃を、何らかの行為の賞罰とは無関係の生徒に課すのはおかしいのではないだろうか。