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暴力と酒宴をベースとする指導者・管理職‐適当に割り与えられた者を師として仰ぐ愚

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 体罰を愛の鞭として受取る生徒がいることを、教職者たちは感謝しなければならないという見方がある。同じように割り当てて与えられた先生や教師を師として仰ぐ生徒がいることを、教育関係者たちは感謝しなければならないだろう。もっとも何をしに学校に来ているかわからない生徒、それは勉強ができるかできないかは関係ない。何をしに来ているわからない子には、つまり、生徒の方に求めるものがなく学校に来ているのであれば、教育機関が割り当てて与えてもさほど問題はないだろうと思う。そして「鍋蓋に閉じ蓋」で「一緒になればうまくいくさ」とばかりの教育論も成立つだろう。

 しかし勉強の出来る子とは、与えられた問題を解く子のことではなく、自ら課題を見つけ、それを解いていく子のことだと定義付けするなら、割り与えられた相手は役に立たない場合が多い。というにも、そうした子は誰から学べば自分が伸びるかぐらい、情報を与えられれば選択することはできるからである。割り与えられた指導者に教えられて伸びる子はいないのである。

「教えてうまくなるやつはいない」というユニークな指導理論を持ち、選手の自主性を引き出して成果を挙げてきたプロ野球中日の前コーチ、権藤博さん(74)。柔道をはじめ、全国で持ち上がっている体罰問題はそれと対極にある指導から生じたといえる。力ずくで「教え込もう」とする指導者をどうみるのか。

プロ野球中日の前コーチ権藤博

 私の指導者としてのスタートは中日の2軍コーチだった。毎年入団してくる若い人たちをみていて再認識したのはプロ野球に入ってくるような選手は体格も運動センスも恵まれた、特別な才能の持ち主ばかりだということ。中学でも高校でも、誰に教わるわけでもなく速い球を投げたり、打球を遠くに飛ばしたりすることが出来ていた人だけが、プロへの入門を許されるのだ。

 どの世界でも頂点を極めるような人は自分で成長のヒントをみつけ、課題を克服できる。だから、プロでトップを狙おうという選手に教えてうまくなるやつはいない、というのだ。

 実際には自分自身の才能に気付かなかったり、失敗を重ねて自分の長所を忘れてしまうなどの理由で伸び悩むケースが少なくない。そこでコーチの出番となるわけだが、一番大事なのは選手に自信を回復させ、前向きに進む勇気を持ってもらうこと。それがコーチの一番の仕事だと思っている。

 昔、日経の夕刊でマラソンの渋井陽子選手らを指導する鈴木秀夫監督の話を読んだとき、わが意を得たり、と思ったものだった。

 褒めて育てるのが信条という鈴木さんはミーティングをしない。力んでゲキを飛ばすこともないという。駅伝のゼッケンを渡すときも、とくに訓示はしない。「練習で全部教えているから、特にいうことはない」というのだ。練習ではこまごました指導をしているのかもしれないが、いざ選手を戦いの舞台にあげるにあたっては任せるしかない。私もまさに同じような考えで選手と向き合っていた。

 ちなみに鈴木さんは高橋尚子選手らを育てた小出義雄監督の教え子であり、小出さんもまたそういう指導者だったのではないだろうか。

 体罰を与えた方が伸びるか、褒めた方が伸びるか。これはもう褒めた方がいいに決まっている。それが私の40年あまりの指導経験による結論だ。

 退任した柔道女子の園田隆二監督にとって指導とは「教えてうまくする」のが全てだったのではないか。一般的にはそれが当たり前だし「教えてうまくなるやつはいない」といっても、恐らく何を言っているのか、理解してもらえないだろう。

 「教えてうまくなるやつはいない」は言い方としては極端だけれども、指導者のみんながこういう気持ちのかけらでいいから、持っていた方がいいのではないか。それが指導者としての心のゆとりにつながる。

プレーするのは監督でもコーチでもなく選手だ。いくら手取り足取りしても、マウンドに上がった投手がいい球を投げてくれなければ駄目。指導者が自分の無力と、教えるということのむなしさを自覚したときに、選手を尊重する気持ちが生まれてくる。

 プロ野球と同様、柔道の日本代表に選ばれてくるような選手はいずれもたぐいまれな才能を持っている人たちに違いない。同好会レベルの選手ならいざ知らず、金メダルを取るような選手は放っておいても自分に甘えは許さないはずだ。金メダルを取る人は殴っても殴らなくても取るだろうし、その器でない人は殴っても殴らなくてもメダルを取れないのだ。

 柔道というお家芸を担う身として「是が非でも結果を出さなくては」と思うのはわかるし、その重圧は並大抵ではないだろう。負けても次があるプロ野球と、4年に一度の舞台で1回負けたらおしまいという世界を一緒にするなと言われれば、その通りだ。

 それでもなお指導者は「しょせん、やるのは選手」という割り切ったものを、心のどこかにもっていないといけないと思う。

「そういう権藤さんは体罰をしなかったのか」というお尋ねも当然出てくるだろう。一回もしなかった、とは言わない。

 1970年代に中日に高校からドラフト3位で入団した青山久人という投手がいた。バントの練習で失敗してもへらへらしていたのをみて、おしりに蹴りを入れたことがあった。

 どんな理由があろうとも、そのような行為は許されない。ただ、コーチであれば褒めるばかりでなく、叱らなければいけないときも出てくる。

 叱るときに注意しないといけないのは、その人物の本質に関わる部分、一番の長所に関わる部分に触ってはいけない、ということだ。

 私の仕事は投手を育てることだが「投球」という本筋に関わるところでガミガミ言ったことはほとんどない。青山もバントという“本業”ではないところで叱った。

 自分はここで勝負する、それで生きていくしかないという核心的な部分で“駄目だし”をされたらどうだろう。スポーツの世界に限らず、自分のすべてが否定された気持ちになるのではないだろうか。負けることによって、一番悔しく焦っているのは当の本人だ。だから、そこを叱るときは本当に慎重にしないと選手の傷口に塩をすり込み、萎縮させるだけの結果に終わってしまう。

 柔道女子のチーム内で、そういうことが起こってしまっていたのではないだろうか。園田前監督もその手腕と情熱を見込まれて起用されていたはずだ。日本一のコーチとして、その地位についていたのだろう。それだけに残念だし、組織運営の難しさを痛感させられる。

 体罰というと、鉄拳で知られた西本幸雄さんを思い出す。阪急、近鉄を率いた名将だ。今後は体罰を加えるような監督は何度優勝したところで、名将と言われることはないだろうから、あくまで「そういう時代もあった」ということとして書いておく。

 西本さんは選手に「俺も西本さんに殴られたい」と言わせたほとんど唯一の監督だろう。西本さんに殴られたら、選手として認められた証拠というわけだ。

 西本さんの行為は今となっては正当化できないが、それでもあの人が選手に慕われたという事実に間違いはない。

 西本さんは特定の選手を叱られ役にして鉄拳を加えることはなかった。西本さんはレギュラークラスにも分け隔てなく接した。そこが「その他大勢」の監督とは違うところだ。

 普通の監督は1軍半くらいの選手を叱ることはできても、主力クラスには遠慮して叱れない。そういうところから選手の信頼を失っていく監督、コーチを私は何人もみてきた。選手が抱く不公平感は口で怒るだけならまだしも、人を選んで体罰を加えるようであれば最悪だ。

 西本さんのエピソードをもう一つ。キャンプで雪が降ってきたことがあった。きつい練習に悲鳴をあげていた選手たちは「やった。これで練習は中止だ」と喜んだ。そのとき西本さんは雑巾(ぞうきん)を持ってこさせて、一人黙々とボールの泥をぬぐい始めた。

「なんだ、中止じゃないのか」とがっかりした選手たちだったが、無数の泥まみれの球と一人格闘している西本さんの姿をみるうちに「よし、それならおれたちもやろう」とおのおのの心に火が付き、そこからの数時間は西本さんと選手たちの魂と魂がぶつかり合い、みている方が恐ろしくなるほどの鬼気迫る練習になったという。

 ともに痛みを分かつことができたから、選手は西本さんについていったわけで、私たちはそれを美談としてではなく、自分も痛むという覚悟のない指導者が、まやかしの鉄拳を振るったらとんでもないことになる、という教えとして伝えていかなくてはならない。


 宛がいを師として仰ぐ生徒がいることに日本の教育者は感謝しなければならない。


 時津風親方となっていた元横綱双葉山の部屋を見学したことがあった。双葉山がけいこ場に現れただけで、若いお相撲さんたちの間にビリビリとした空気が漂った。スポーツ界の体罰漬けの実態が暴かれているが、偉い指導者は手を出す前に、その存在によって弟子を畏怖させ、言うことを聞かすのだ。

 双葉山と同じ雰囲気を感じたのが、巨人の川上哲治さんだった。少年時代からあこがれていた人に、初めてあいさつしたときの威圧感は忘れられない。日米野球などでともにプレーしたときがまた怖かった。一塁の川上さんは私の遊撃からの送球が少しでもそれると捕ってくれない。

 普通の一塁手なら捕れる球が悪送球になる。すでに大ベテランとなっていた川上さんの動きが悪すぎるのでは、と思ったが問答無用だ。ベンチでも「川上さんが捕れないところに投げる方が悪い」ということになっていた。

 それでもついて行きたい、と私に思わせたのはやはり、川上さんの威厳と実力だろう。往年のスターの顔に泥を塗らないよう、私は必死に送球を磨き、捕りやすいところに投げた。遊撃手として独り立ちできたのはあの怖い師匠のおかげだ。

 ちなみに指導者としての川上さんは選手を飲みに連れ出して、子分にするという手法はとらなかったようだ。飲んでおごって、人についてこさせようとするのは能力のない管理職がやることで、それは痛みによって選手を縛るのに通じるところがある。

 世の中には酒の席に無駄金を使っている管理職が、まだまだいるのではないか。ちょっとおごってもらったくらいで「一生ついていきます」などという部下は必ず裏切る。そもそも、うまい酒とさかなを味わい、気のおけない会話を楽しむこと以外、飲み会に何の目的があろう。

 暴力による恐怖や酒席をべースとするような指導者と選手、上司と部下の関係は長続きしない。選手は力を伸ばしてもらい、それにより指導者はチームを勝たせる、といった実利のみで結ばれる師弟もあり、それはそれでまだ健全といえる。

























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