柔道の日本代表を含む女子選手15人が暴力やパワーハラスメントを受けたと告発した問題で、女子代表の園田隆二監督(39)が31日、東京都文京区の講道館で記者会見し、事実関係を認めて謝罪し、辞意を表明した。全日本柔道連盟(全柔連)は受理する方向だ。2008年11月に女子代表監督に就任し、4年3カ月で幕を閉じた。世界選手権の選考を兼ねる2月の欧州遠征は代行を立て、監督不在のまま出発する。
無数のフラッシュを浴びながら、10秒間頭を下げた。テレビカメラ20台、報道陣200人。園田監督は一点を見つめ、辞意を表明した。
「今回の件でこれ以上、強化に携わっていくのは難しいと思う。進退伺を出させて頂きたい」
2010年8月から12年2月までの間、5件の暴力行為を「間違いありません」と認め、その上で、ハキハキした口調で持論を展開した。
「暴力という観点で手をあげた認識は全くない。ここで踏ん張ってほしい、一つ乗り越えてほしい時に手をあげてしまった。カッとなったのではなく、『このタイミングだよ』と伝えたかった」
全柔連は前日の会見で、留任させるとした。関係者によると、前日まで園田監督も続投の意向だったという。ところが、所属の警視庁との話し合いで辞意を固めた。会見では「私がこういう立場で、欧州で選手を見ていくのは選手にとっても不安が出てくる。欧州には行かない」と説明した。
これまで合宿のたびに、選手と食事会などを開き、コミュニケーションを図ってきた。練習で厳しい分、息抜きをさせてきたつもりだったという。告発した15選手には「申し訳ないと思ってます。会って直接話したい」と謝罪し、「信頼関係ができていると一方的に解釈していた。行き違いがあった」と反省した。きょうにも進退伺を提出する予定で、全柔連は受理する方向だ。
暴行の事実を隠ぺいしてきた全柔連幹部の責任は重い。暴行があった1年4カ月の間、強化委員長だった吉村和郎理事は海外遠征や合宿に同行した。監督責任があるにもかかわらず、この日、「私は男子も見ていたから(暴行について)よく分からん」と反省の色は一切なかった。たまった膿を出し切るため、監督の辞任だけでは終わらない。
柔道女子日本代表の合宿で暴力行為があったとして、選手15人が園田監督などを告発する文書をJOC(日本オリンピック委員会)に昨年12月に提出していた。全日本柔道連盟は30日の記者会見で陳謝するとともに、園田監督を戒告処分にした。実際は、去年9月には合宿で暴力行為の情報が全柔連に入っており、聞き取り調査をした結果、暴行の事実があったと判断し、11月28日に監督が選手に対して謝罪したという。しかし前述のとおりJOCが選手からの告発を受けたため、再度全柔連で調査し、戒告処分の判断に至ったという。31日、園田監督は記者会見にて辞意を表明した。
大阪・桜宮高校の体罰問題が連日報じられる中、柔道女子日本代表でも指導者の暴力問題が明らかにされた。各紙の報道からは、問題に対する微妙な姿勢の違いが伺える。
各紙が挙げた主な論点は2つ。全柔連・JOCの対応は適切だったのかという点と、スポーツにおける指導と暴力の境界、という点だ。1点目については、各紙共通して問題視しており、「事なかれ主義」などの批判があがっている。2点目については大きな違いが見られる。産経新聞が、指導と暴力の境界が変化していることに着目しているのに対し、朝日新聞は、そもそも体罰が指導に含まれるという問題の根深さを指摘している。以下、具体的に見ていく。
朝日新聞はこの問題について、1面・社説で取り上げるとともに、スポーツ・社会面でも大きく報じた。見出しにあるように、記事ではJOCの対応への批判に力点を置いた。代表選考に強い権限を持つ監督の「パワハラ」に対し、選手はJOCを最後の「駆け込み寺」と頼った、と描写。それでも全柔連へ対応を指示するのみで、問題を公表しなかった姿勢は、“指導者の温存を優先する姿勢が透けて見える”と断じた。社説では、利害関係なき第三者委員会に調査を委ねるべきとも指摘している。また園田監督に対しては、「出直しの機会を奪えとはいえない」としつつも、選手が代表生命をかけた行動に出ていることもあり、日本代表監督は辞任すべきと論じた。さらに、「指導には体罰も辞さないとの考えが長く容認されてきた」日本のスポーツ界の問題であるという識者の意見を掲載し、問題の根深さを示唆した。2020年の東京五輪招致活動への影響も避けられない、という問題提起も行なっている。
産経新聞も、1面・社説など計5記事で詳しく報じた。特に1面記事は、暴力行為への批判ではなく、厳しい指導が成り立たなくなっている現状を嘆くような内容である。まず書き出しが、“どこまでが「指導」で、どこからが「暴力」か。”とある。さらに、「人間関係ができていなければ、熱血指導が暴力と受け取られる危険は常にある」という元代表コーチのコメントや、「厳しい指導への耐性が、年々落ちている」という声も紹介した。記事中に明示されてはいないものの、信頼関係と愛情ある「厳しい指導」(体罰を含む)を容認した上で、その線引きが時代や環境によって変化したことにフォーカスしているといえる。実際27日には、「一定条件下の体罰」は必要とする編集委員の論説を掲載していた。社説でも“「愛のムチ」の存在まで全否定することはない”と論じている。
確かに体罰を容認する声は根強い。皮肉にも、朝日新聞が示唆した問題の根深さが現れた報道となった。
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今回の指導者の暴力行為の問題には論点は2つあるらしい。
?全柔連・JOCの対応は適切だったのか
?スポーツにおける指導と暴力の境界
?については、概ね「事なかれ主義」などの批判があがっている。
?については、愛の鞭論がある。人間関係ができていなければ、熱血指導が暴力と受け取られる危険は常にあるという。また、厳しい指導への耐性が、年々落ちているのだという。愛の鞭支持者は、信頼関係と愛情ある暴力行為を含む厳しい指導を容認した上で、その線引きが時代や環境によって変化しただけだという。このように
暴力行為を容認する声は根強い。そのことは同時に、日本のスポーツ界には指導には体罰も辞さないとの考えが長く容認されてきたことを意味し、問題の根深さを示唆している。こうした国が2020年の東京五輪招致活動を行うべきなのだろうか?