長崎市で2007年に選挙運動中の伊藤一長市長=当時(61)=を射殺したとして、殺人や公選法違反(選挙の自由妨害)罪などに問われた元暴力団幹部城尾哲弥被告(64)について、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は18日までに、「無期懲役の判断が量刑面で甚だしく不当とはいえない」として、検察と被告の上告を棄却する決定をした。一審の死刑を破棄し無期懲役とした二審判決が確定する。16日付。
5人の裁判官全員一致の結論で、双方の主張を「刑事訴訟法の上告理由に当たらない」と退けた上で理由を付言。二審判決が(1)殺害の被害者が1人(2)経済的な困窮や病気から自暴自棄になる中で思い詰め、暴発した側面もある(3)政治的信条に基づく犯行でもなく、選挙妨害自体が目的でもない―として死刑を回避した点を「肯定できないわけではない」と述べた。
一方で「不当な要求を長崎市に拒まれて市長を逆恨みし、当選を阻んで恨みを晴らすとともに、大事件を起こして自らを誇示しようとした行政対象暴力の極みだ」と犯行の悪質性にも言及。
さらに「被害者の動向を探って拳銃を持ち歩いた計画的犯行。無防備の背後から銃撃し、冷酷、残忍で、付近には支援者や通行人もいて極めて危険性が高かった」とし、「被爆地の市長として核兵器廃絶を訴えてきた被害者の命を突然奪った結果は重大で、選挙妨害の結果も軽視できない。遺族の処罰感情は厳しく、社会に与えた影響も甚大だ」と批判した。
検察側は死刑を求刑し、一、二審では、最高裁判決が1983年に示した死刑適用基準(永山基準)に照らしつつ、選挙運動中の候補者への犯行を量刑上どう考慮するかが争点だった。
長崎地裁判決は「有権者の選挙権行使を著しく妨害した」と指摘。金銭強奪目的などではなく、殺害被害者が1人でも極刑はやむを得ないとした。しかし福岡高裁判決は、主な動機が市長個人への恨みだったことなどを挙げ「死刑選択はちゅうちょせざるを得ない」と減刑した。
二審判決によると、城尾被告は07年4月17日夜、市の対応への不満から現職だった伊藤市長を恨み、選挙事務所近くの歩道上で拳銃を2発撃ち殺害した。
伊藤一長・前長崎市長(当時61歳)の射殺事件で、殺人や公職選挙法違反(選挙の自由妨害)罪などに問われた元暴力団幹部、城尾哲弥被告(64)に対し、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は16日付で、検察、被告双方の上告を棄却する決定を出した。1審の死刑判決を破棄して無期懲役とした2審・福岡高裁判決(09年9月)が確定する。小法廷は2審判断を「量刑がはなはだしく不当とは言えない」とした。
1審・長崎地裁判決(08年5月)は「被害者は1人だが公共の場で銃を使用した暴力団犯罪の典型。行政対象暴力として例のない極悪な犯行で、直接的で強烈な選挙妨害」と死刑を選択。2審は「被害者が1人である点は重視される。動機が選挙妨害そのものではなく、利欲的側面も認められない」と破棄した。これに対し被告側は有期刑相当、検察側は死刑相当として双方が上告していた。
小法廷は動機を「不当な要求を市が取り合わなかったことから市長を逆恨みし、大事件を起こして力を誇示しようと考えた」と指摘。「行政対象暴力の極みで、被害者の動向を探って待ち伏せており計画的。公職の候補者に対する犯行で、結果として選挙妨害となった面も軽視できない」と述べた。
【ことば】 長崎市長射殺事件
市長選期間中の07年4月17日夜、JR長崎駅近くの選挙事務所前で、遊説から戻った伊藤一長・前市長が背後から銃弾2発を撃たれ、翌日未明に死亡。城尾被告は取り押さえられた際に実弾26発も所持し、殺人、公選法、銃刀法、火薬類取締法違反の罪に問われた。その後、市長選には前市長の長女の夫と、市課長だった田上富久氏が補充立候補し、田上氏が初当選した。
(中国新聞「長崎市長射殺、無期確定へ 最高裁、双方の上告棄却」より)
(毎日jp「長崎市長射殺:元暴力団幹部、無期確定へ 最高裁」より)