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志村けんのバカ殿様 大当り初夢SP(中村仁美 中野美奈子 長野翼)

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 沖縄で、識者と呼ばれている人の中には、封建思想を沖縄文化あるいは沖縄人のとるべき人間関係だと考えている人もいる、そのひとつが親には絶対服従という考え方である。その考え方を述べるときによく引き合いにさらるのが沖縄芝居の演者大宜見小太郎の「丘の上の一本松」である。その芝居における親子関係は、親がどんなに馬鹿でも、乱暴でも、愛情に欠けていても、それに子は絶対服従だといった封建思想である。つまりバカ殿であっても批判することなく仕えよということである。この思想は体制維持には役立つだろう。

 その封建思想は日本独自の思想である。よく中国思想だとされるが、中国には親に対して絶対服従を求める思想は存在しない。中国は血縁社会である。その社会を前提に、孔子は「角が立たないように三度諌めても(目上の人に不正や欠点を改めるよう忠告する)、それを聞き入れられなければ諦めて号泣する」と言っている。血縁関係は切るに切れない関係、特に血縁社会では絶対的な関係であり、この関係を「号泣する」ほかなくなる。一方、忠は契約関係だから「三度諌めても(目上の人に不正や欠点を改めるよう忠告する)、それを聞き入れられなければ立ち去る」となる。契約である忠という概念は血縁関係と異なる自己の意思で切れるから、そうなる。

 日本は血縁社会ではない。擬制血縁社会である。だから忠孝の分離がな社会である。孔子の思想は日本の忠孝一致社会では適用できない。そのため、孔子の孝行の面だけを受け入れ、それを擬制血縁社会に適用するように拡大化し、封建思想としたのだろう。その思想をそのまま実施すれば「角が立たないように三度諌める(目上の人に不正や欠点を改めるよう忠告する)」ことも駄目だということになり、それがそのまま忠の対象にまで適用され、「目上の人(親や村の長や上司なども含めて)に不正や欠点を改めるよう忠告する」ことは禁止という社会になってしまった。それが沖縄、ないしは識者の求める沖縄人像である。
































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