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違法ギャンブル・闇に眠ったはずのカネと欲望、コントロール不能な社会をコントロール可能な方向に転じる力

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 競馬、競輪、競艇、パチンコ……日本中至るところに遊興施設は存在し、そのCMにはアイドルやお笑い芸人が起用されるなど、公営ギャンブルは私たちの日常に当たり前のようにとけ込んでいる。しかし、その一方では、尽きることのないカネと欲望を原動力として、現代日本の「貴族」から酔っぱらいサラリーマンまでを虜にする、闇の賭博場の拡大が助長され続けてもいるのだ。

 闇バカラ、闇スロット、そして野球賭博・・・そこには、あるときは繁華街の雑居ビルや路面店舗で、そしてあるときは携帯電話のメールを舞台に、数百万から数千万のカネが一晩で眠りを覚ます地下経済が存在していた。

 公然に認められたギャンブルが林立するにもかかわらず、彼らを違法ギャンブルに駆り立てる動機とは何か。


 肌寒い新宿。紹介者のMに連れて来られたのは、路地裏の雑居ビルだった。

 ビルの看板には、各フロアで営業しているバーやスナックの名前が載っているが、何も書かれていないフロアが一つ。エレベーターはそこで止まった。

 Mに促されて降りてみると、そこには大人3人がやっと立てるくらいの小さなスペースがあり、緑地に白で「非常口」と書かれた誘導灯の光が、月明かりのように互いの顔を照らす。

 私の目の前に立ちふさがるのは防火扉一枚。エレベーターが降りていったのを見届け、天井に設置された不自然な防犯カメラを見ながらMが電話をかけると、防火扉の中から戸が開けられ、光が漏れた。

 20畳ほどのスペースにバカラ台が3台。正装をしたディーラーとホール係の若い女性が、ホテルマンのような落ち着いた立ち居振る舞いで「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。

 先客は10人程度だろうか。各テーブルに散らばって座っている。

 ホスト風の若者、IT社長風の中年、資産家風の年配者……「金を持ってそう」という以外に共通点を見出だすことが困難な大人たちが、1回当たり5万円〜数十万円をチップに換金している。

 すべての客は紹介制で、高額所得者同士の繋がり、あるいは、高級クラブのホステスや高級風俗店の上客を抱えたキャッチ、マージャン店の経営者などを通して店を訪れるという。むやみに客を増やしても摘発の可能性も増すばかりだが、高い金を持続的に落とす客はつかまえたい。店側は限られたルートを駆使し客を集めている。

 彼らが求めるのは「バカラ」――。邦訳すれば「0(ゼロ)」あるいは「破滅」という意味を持つそのゲームは、現代日本の闇の中に確かに生き続けている。


 席に着くと、Mは分厚い札束をチップに換えてゲームを始めた。

「ベット、お願いします」「(カードを配りながら)プレイヤー、バンカー、プレイヤー、バンカー……」「バンカーウイン」。

 落ち着き払ったディーラーの声、立ち居振る舞い。そこには、古くから西洋貴族の遊びとしてたしなまれてきたバカラが必然的に培ってきた格調と敷居の高さがにじみ出る。

 ゲームの合間には、ホール係が客からオーダーを聞いて回る。飲食物・タバコはすべて無料だ。メニューには、カレーライスから寿司、パフェまで用意されているが、そこにいた客の手元にあるのは、せいぜいサンドイッチやビール・ウィスキー程度だった。誰もが、空腹を満たすことなどよりも、ゲームの行方に心を奪われている。

 しばらく台の上を眺めていて気がつくのは、バカラ独特の作法である。

 例えば、「しぼり」と呼ばれるカードの開き方。伏せた状態で手元に配られたカードの下端2箇所を両手で持ちながら、自らの指で数字を隠しつつ、1センチほどカードをめくる。すると、その1センチに見えたカードの下端に記されたマークの数・位置によって、配られたカードの数が「しぼれる」(限定される)。数をしぼった時点で、望むカードであればカードを返し、もし望まないカードならば、ディーラーに戻す者もいれば、その場でカードを破り捨てる者もいる。

 もうひとつ、客の多くは「罫線」と呼ばれる紙に各回の勝敗を記入する。タテ8行程度、ヨコ長で縦横の罫線が引かれた用紙に、勝敗や出た数を記載してパターンを可視化し、古くから伝えられる勝利のセオリーとあわせて考えるためのものだという。

 しかし、客がいくら努力しようとも、バカラの結果を左右する確率自体はいずれも等しい“丁半博打”だ。どれだけ「しぼり」、傾向を読んだところで、勝負の行方は確率論的には何も変わらない。

 それでは、なぜ、「非科学的な作法」が残っているのか。Mは語る。

「もちろん、そういうのはやらない人はやらないですよ。ぼくも『しぼり』しかしません。でも、やる人はゲームの最中ずっとやってる。罫線にも細かく記録していく。中国の人と一緒に来たら、占いなんかに詳しい人で、どういう流れがあると勝てるのかとか教えてくれました。まあ、1枚のカードに賭けている額が膨大ですからね。それぞれのカードに命かけてるってことでしょう。あとは、儀式ですよね。『負けた時に納得するため』の。『やれることはすべてやった』っていうのと『こうやっていなかったから負けたのかも』っていうのがあれば納得するじゃないですか」

 競馬にせよパチンコにせよ、ギャンブルの多くは、傾向や攻略法などが巷に出回っており、ある程度、自らで運命をコントロールしうる範囲がある。しかし、バカラは、それらに比べてその範囲が非常に限られている。しかし、それにもかかわらず、運命を天に任せることなく、自らの手に引き戻すための「非科学的な作法」。

 それは、他のギャンブルと比しても、バカラが持つ異質な伝統と独特の雰囲気と相まって、現代日本の「貴族」たちの興奮と熱狂を煽りたて、たとえ一晩に数百万の金を失ってもふたたび通ってしまうほど彼らを魅了している。


 現在、闇バカラ店は「都内だけでも40くらいはある」(M)。新宿がもっとも多く20件程度。銀座、渋谷、池袋、上野などの繁華街にもそれぞれ数件ずつ存在するという。もちろん、常に摘発や、それを避けるための閉店・移転を繰り返しているため、正確な数は誰にもわからない。

 Mの知人であり、カジノ経営に携わっていた経験を持つTは語る。

「多くの店が、少なくとも月売上3000万円。2000年代前半、景気がいいときには、月1億円以上売上げる店もざらだったみたいですよ。でも、ここ5年ほどでバカラ店の数自体だいぶ減った。警察の締付け強化で摘発されて消えていく店もあれば、経営が行き詰まって、収益は低くても、客にとって敷居も低いインターネットカジノや闇スロットへの“事業転換”をする店も多いんです」

 それでも闇バカラは消えない。

「やっぱり、賭博は商売としての旨みが大きい。これだけの少人数・小スペースで、何の仕入れも技術もなく毎晩ハンパない現金が落ちてくる。こんな商売が表社会で許されたら、みんなまともな事業の経営なんかしなくなりますよ。それでも許されぬことに手を出そうとする、手を出し続けられる人間がいるっていうことです」

「ぽっと出のバカラ屋やお飾りの経営者は摘発で消えても、その上にいる実質的な金主(キンシュ:カネの出し主)を当局は触れない。触れないような組織を作っているし、触ろうとしても、それなりに政治・財界に顔が利くような有力者が絡むこともある。ちょっとした特権階級の文化としては常にあるんです」

「こういう雑居ビルで隠れてやっている業態以外に、『大使館カジノ』と呼ばれるカジノもある。途上国の駐日大使館が『自国のPR』という建前で日本の富裕層向けにカジノを開くんです。大使館名義で用意されている物件の中にカジノをつくれば、捜査当局も触れられない。大使館の中ですから。外貨獲得にもなる。いずれにせよ、『待たざる者は永遠に持てず、持つ者はさらに持つ』。その象徴みたいなものです」

 改めて言うまでもなく、ギャンブルそのものは何も新しいものではない。大昔から存在し、それを権力が規制の対象としてきた。近代化以降、現在に至るまで、日本では刑法によって賭博を禁じられる一方で、競馬・競艇・オートレース、サッカーくじのような公営ギャンブルが整備され、あるいはパチンコ・パチスロのような「ギャンブル性を持つ業態」が、規制をかいくぐりながら社会の隅に存在し続けているのだ。


 例えば、10年ほど前までは「アミューズメントカジノ」と呼ばれる業態も存在した。「アミューズメントカジノ」とは、メダルで遊べるカジノゲームだ。

 表向きの扱いはゲームセンター。つまり、「ひと度現金をメダルにしたらメダルを現金には換えられない」という建前が存在する。にもかかわらず、「アミューズメントカジノ」と呼ばれる業態の中には、メダルを再度換金できる店も公然と営業していた。かつて、繁華街の入り口には、消費者金融やパチンコ屋の看板を掲げた中年男性のサンドウィッチマンが立っていたが、「アミューズメントカジノ」の看板を掲げた者も同じように客引きしていたという。

 今でも、「アミューズメントカジノ」を名乗る店は一部に残っており、「ギリギリ合法」の範囲でメダルを食事や酒に換えられる店もある。だが、かつてのように実際の金銭が動く業態の存在は許されなくなり、繁華街からは姿を消し、今日に至っている。

 しかし、規制が強化され、その対象となったものが表面上は見えなくなったからといって、存在そのものが社会から完全に抹消されたわけではない。「法の範囲」を示す補助線が明確に引かれると、同時に「法の範囲の外」も明確となる。「法の範囲の内」にあるものは表立って堂々と営業する一方で、「法の範囲の外」に位置されたものは、多くの人の目と権力の手が届かないところに居場所を見つけて生き長らえる。

 それは、「法の範囲の外」に出れば、「法の範囲の内」では決して味わえない射幸心やカネの巡りに出合えるからでしかないが、範囲を明確化することがかえって、「逸脱した存在」に新たな価値を生み出していることは確かだ。

 ルーレットやポーカーをはじめとする「カジノゲーム」の中でも、バカラはそこで動かされるカネが大きいことで知られる。しかし、そういった「大きな逸脱」ばかりが人を魅了しているわけではなく、むしろ「小さな逸脱」が人を魅了する事例もある。


 その一つが「闇スロット」だ。経営関係者のYは語る。

「スロット自体はパチンコ屋にあるよね。闇スロの機械もパチンコ屋でやるスロットと基本は同じ。でも、客が楽しめるように色々仕組まれているわけ。例えば、スロット台。『爆裂連チャン台』とか言われる『当たると短時間に、大量に出る台』っていうのがある。でも、『過剰に射幸心を煽っている』ということで規制対象になり、普通の店からは撤去されるんだ。闇スロにはそういう台を置いてる」

「パチスロメーカーっていうのは、客が集まる台をつくろうとして色々な工夫をしてるんだよね。アニメのキャラクターとかストーリーをコンセプトにした台をつくって、大掛かりなCMを打ったりもその一つ。ただ、そういう『見た目』だけじゃなくて、当たり方のパターンとかもいじっている。こうすれば人がハマるぞ、カネをつぎ込んで勝とうとするぞ、っていうプログラムをつくろうとして『意図的な連チャンシステム』が開発されるんだ。でも、パチンコ屋で、パチンコ以上にパチスロが流行ったりもして規制が及ぶ。そうすると、普通の店に置けなくなった台を中古で仕入れて『闇スロ』を開業する。客はもう普通の店では味わえない刺激と夢が体験できるわけ」

 パチスロ自体は70年代から存在したが、その人気が大きく高まったのは2000年代。人気台が次々に生まれ、パチンコ屋の中でも、それまでパチンコ台があったエリアにパチスロ台が置き換えられていった。

 しかし、2007年7月から規制が強化されたことと相まって、短時間で大当たりが出ることもあり、それまでのパチスロ人気を支えてきた「4号機」と呼ばれる台が撤去され、短時間では当たりの出ない「5号機」のみが店に置かれるようになっていった。「闇スロット」では、「4号機」やそれ以前の台を置いているのだ。

「4号機にハマった人間から言わせれば、5号機は当たらないし、面白くもない。最終的に勝つか負けるか以前に『遊べねーな』となる。闇スロで遊べるように工夫してあるのは、レート。闇スロはレートが普通の店の数倍に跳ね上がる。例えば、普通の店ならメダル1枚を20円で買うところが、40円〜100円くらいになる。つまり、闇スロの店で1000円払ってゲームを始めようとすると、普通の店での2000円とか5000円分の勝負ができるわけ。もちろん、ゲームをしないでそのまま換金したりはできないよ。でも、少ない金額でより大きな勝負に出られるっていうのは客からしたらたまらない。ここ来たら普通の店には行けなくなるよ」


 当然ながら、「闇スロ」店は、ただ客を楽しませて、得をさせる「お人好し」ではなく、「客が離れない程度」にしか還元されない。ただ、それでも、小規模店舗であっても、1日の売上が50万円〜100万円ほどになる店も多いという。

「闇スロの運営を、暴力団が直接やっていることはほとんどない。いま運営しているのは、元々闇バカラ店とか風俗店をやっていたけど、繁華街の浄化作戦で商売ができなくなった経営者とかがやってることが多いよね。もちろん、店舗がある場所を縄張りにする組織にエンソ(上納金)は払うけど。客も、やっぱり繁華街だからガラが悪いのも来る。でも、パチンコ屋に普段から行ってるような普通のサラリーマンが、同じ趣味を持ってる人間から聞きつけて来るほうが多いよね」

「闇スロ」店の中には、とりわけ特別な“何か”があるわけではない。雑居ビルのワンフロアに整然とパチスロ台が並べられ、客は黙ってその台に向かう普通の光景。店員は懇切丁寧で、威圧的な雰囲気は全くない。

「店は夜の9時とか10時に始まって翌朝までやってる。サラリーマンなら飲み食いして酔っ払って、2軒目、3軒目で『何か面白いことはないか』となった時に、『せっかくだから行ってみるか』と入る。気も緩んでるだろうし、もしこれで大当たりしたら豪遊するぞ、とかね。当たったらいい時間つぶしになるから、終電逃した人も来てる。あとは、水商売の客、従業員も店から出てくる時間にちょうどいい。比較的カネを持ってるのもあるけど、彼らの仕事が終わる時間っていうのはパチンコ屋は閉じている時間だから」

 警察の摘発が入れば、その店舗の経営者はもちろん、その場で台に向かっている客も、紛れもない「賭博」の現行犯として逮捕される。ただ、何度潰されようとも、店は新たに生まれ続け、客も新たに入り続ける。

「4号機が廃止になって、闇スロが目立つようになってから5年くらい経つけど、そのなかでも色々な変化はあった。最初はやたらレートをあげる形で客集めを競い合う状況があったけど、今はそういう『違法』を極める形じゃなくて、『脱法』的な店も出てきた」

「例えば、台の横に『特製カード』の自動販売機がついていて、あくまでそれを買った「おまけ」としてパチスロで遊べる店があるんだよね。パチスロで勝つと、景品としてさらに『特製カード』がもらえる。それで、その『特製カード』は、正式に「古物商」の許可をとった店員に売れば換金できる。そういう形式をとって法の穴をついている。その店は、外から見ても店内にスロットが並んでいるのがわかるようになっていて、『ここは違法ではないから』と客をつかまえてるよね」

 浄化作戦によって表面的に街がキレイにされる一方では、意図せざる形で、人を楽しませ、カネを巻き上げる手法は洗練され続ける。そして、新たな客を取り込み続けているのだった。


 本連載では、街の浄化と情報化の奇妙な共犯関係を度々取り上げてきたが、賭博全体にもその構造を見ることができる。

 たまたま取材で訪れた性風俗店経営者の事務所で、従業員のこんな会話が聞こえてきた。

「ハンデ出た?さすがに今日はいけるだろ」「いや、俺今年に入ってから、まだ1度しか負けてねーし。今週ダメなら、お前向いてねーんだから“野球”諦めたほういいんじゃねぇーか」。

 はじめのうちは、何を話しているのかわからなかった。「大の大人が“野球”の話を真剣にするなんて。“クサ野球”ってことでマリファナのことを隠語で話しているのか」などと考えてもみたが、どうやら違う。

 それが野球賭博の話だとわかったのは後日のこと。何がきっかけだったか、その経営者と話しをしていて、たまたまスポーツの話題になった時「今、“野球”流行ってるんですよ」と真相を明かされたのだった。

 野球賭博――。かつて、プロ野球選手自身が野球賭博に関与し、今でも日本プロ野球史最大の醜聞と呼ばれている「黒い霧事件」が起きたのは、1969年から1971年にかけてのこと。

 それは、2010年に起こった「琴光喜スキャンダル」をあげるまでもなく、現在に至るまで脈々と続いてきている。

 角界に「勝負の勘を鍛えるために相撲取りは博打やらなくちゃダメだ」などという風潮もあるというが、馬券を買ったりパチンコにでも行っていれば、誰かに見つかったところで咎められるものでもない。それにもかかわらず、彼らはあえて違法賭博を選んだ。

 野球賭博運営関係者のHは語る。

「野球賭博っていうのは、試合の勝敗とその点差を予想すればいいだけだから簡単なんだよね。他のギャンブルだと、何十、何百、ときには何千あるパターンの中から予想して選んだり、本を読んで攻略法を勉強したりするけど、その必要はない。複雑な決まりや細かい情報を押さえなくても、野球っていう、誰もが子どもの時から馴染んできた対象に賭けられる。ギャンブル初心者もすぐにやれるんだよ」

 賭ける額は、1試合1万円から。「巨人が勝つに10万円」「阪神が勝つに50万円」という具合だ。シーズン中は、ほぼ毎日、複数の試合が行われており、すべての試合が賭けの対象となる。チームの調子は新聞・テレビで逐一追いかけられ、選手の調子も常に変化している。そんな馴染みやすさが大きな魅力となっているのだ。


 しかし、それだけでは、なぜ彼らが野球賭博に熱狂するのかという理由はわかりにくい。そこでキーワードとなるのが「ハンデ」だ。野球賭博の「ハンデ」は、競馬における「オッズ」の役割を果たす。

「ハンデ」の連絡を行う携帯をもとに丁寧な解説も 野球は、ある程度、その時点でのチームの力量差が見えやすいゲームでもある。例えば、シーズン中盤以降に連勝している1位のチームと負けがこんでいる最下位のチームが3連戦を行うとしたら、かなりの確率で1位のチームが2勝あるいは全勝する見通しがつく。

 これを賭けの対象として考えたときに、当然、大半が1位のチームに賭けることになり、賭け金が偏ってしまうため、賭け自体が成立しなくなってしまう。そこで、例え力量差があっても、どちらが勝つのかわからないすれすれの勝負に賭けを設定し、賭け金を分散させるとともに、参加者を賭けに煽りたてるために「ハンデ」は設けられる。

 細かい規則は複雑であるためここで深く触れることはしないが、例えば、巨人が好調な時期、仮に巨人に「1.3のハンデ」をつけた場合、「1.3巨人VS阪神」と表記される。この時、巨人に1万円を賭けた参加者は、巨人が2点差以上で勝利しなければ儲けることはできない。もし巨人が1点差で勝利したとしても、「1−1.3=−0.3」と計算され、巨人が勝利したにもかかわらず「3割負け」、すなわち3000円支払う必要が生じ、さらに1割の手数料として1000円を胴元に取られてしまうからだ。

 反対に、阪神が1点差で勝利した場合は「丸勝ち」と呼ばれ、掛け金の全額1万円分が払い戻され、掛け金の倍額から1割の手数料(2000円)を引いた金額、つまり1万8000円を受け取ることができる。

 ここで最大のポイントとされるのは、「その時どきによって絶妙なハンデをつけることで、チームの力量にかかわらずどちらに賭けるのがいいとも言えなくなり、参加者がより賭けに熱中する」状態が生まれているということだ。

「勝てるだろうけど、2点以上差をつけられるかな」「もし負けても1点差なら大丈夫だ」。この「ハンデ」が、賭博参加者の心理をかき乱し、一見力量差が明らかだと思える勝負すらをスレスレのギャンブルへと変える。

 この「ハンデ」の設定は、賭博を運営する組織の内部にいる「ハンデ師」と呼ばれる者が受け持つ。

「『ハンデ』次第で、どれだけ客をハマらせることができて、胴元が儲けられるかが決まるのは確かだよ。なかには、「あのピッチャーは腹が痛い」というように、マスコミとかプロ野球関係者しか知らないような情報まで加味して『ハンデ』を設定しているところまである」

「『ハンデ師』が『ハンデ』を公開するのは、試合開始の3時間前。『ハンデ師』を雇ってる胴元から各仲介者を通して客に『ハンデ』が届く。これ、昔は電話とかFAXでリレーして情報を伝えあってたんだけど、今は携帯メールが使われてる。だから、昔は一人の仲介者で受け持てる客の数も限界があったけど、今では100人とかも当たり前だよね」

「ハンデ」を見て賭ける試合・チームを決めた客は、「巨人10(巨人の勝利に10万円)」などと仲介者に返答して、この時点で賭けが成立する。そして、毎週月曜日になると、その前週分、つまり1週間前の月曜日から日曜日の間に賭けた試合の勝ち負けで動いた金額を相殺して、プラスであれば参加者は入金を受け、反対にマイナスの場合はその金額を入金する。

「胴元とか、どっぷり浸かっている仲介者は、何かあったときに足がつかないように、トバシ用(他人名義)のネット銀行の口座を使って受け渡しすることが多い。すべてのやり取りをメールとネット銀行でやっているから、大量の客を効率良く扱えるし、客の側も、心理的にも物理的にも負担感なく始められちゃうんだろうね」


 ところで、この違法な野球賭博を運営している人物とは、何者なのだろうか。

 角界における賭博報道の断片的な情報から多くの人が推測した通り、暴力団関係者が胴元になっている場合が多いのは確かだ。しかし、暴力団関係者だからといって誰でも胴元になれるわけではない。それ以上に重要な要素は、万一のリスクを吸収できるだけの資金力、そして、持続的に賭けに参加する「金持ち」との人脈を持っていることだ。

 他の賭博と同様に、賭けの参加者が少ないときや、客が賭ける対象が分散するときには、胴元が損することもある。これはどういうことか。

 例えば、巨人・阪神戦を対象に、客Aが「巨人の勝利に100万」、客Bが「阪神の勝利に250万」賭け、巨人が勝利して客Aの「丸勝ち」となった場合。胴元の手元には350万あるので、その中から「180万円(掛金の倍額から1割の寺銭20万円を引いたもの)」をAに渡せばいい。しかし、ここで阪神が勝利してしまった場合、Bに対して「450万円」を払い戻す必要があり、胴元は125万円を自腹で支払わなければならなくなるのだ。

 胴元が儲かるような仕組みになっているものの、このような事態は、運営上ある程度避けられない部分ではある。それ故、胴元には、「もしマイナス分が発生したとしても、運営継続に支障をきたさないだけのカネを持っているか」ということが求められる。

 各仲介者は、それぞれ数名から数十名程度の客を抱え、1週間で100万円程度の賭け金を引き受ける場合が多いが、それぞれの客の間で賭け金の比率が「5:5」と均等になるケースはまず存在しない。先述の通り、基本的には「オッズ」の調整により、あからさまな掛金の偏りは生じないように調整されるが、各試合ごとにどちらかに偏りが生じてしまう。

 胴元は、各仲介者の中で必ず発生するこの「余剰賭け金」を一手に引き受け、調整する役割を果たす。それによって、人数にして数百名、金額にするとときに数千万円といった大金を動かし、その1割分の寺銭を毎週受け取ることができるのだ。

 無論、「ハンデ」の設定がうまくいかないと剰余金の調整がつかなくなり、自腹を被るリスクが高まることも意味する。実際に、現在も全国にいくつもの胴元が点在しているが、自腹がかさみつぶれる胴元も少なくないという。

 これも他のギャンブルと同様だが、賭けの参加費である寺銭を受け取っている胴元は、運営を続ければ続けるほど損金を取り戻し、儲かる仕組みになっている。つまり、胴元には、一時的に損失が生じてしまったときに倒れないだけの資金力が求められるのだ。

 胴元の資格としてもう一点挙げられるのは、継続的に賭場に足を運び、カネを支払ってくれる参加者へとつながる人脈だ。角界のスキャンダルで言えば、力士の髪を結う床山や引退済みの力士など、運営側から「仲介者」と呼ばれる人間との人脈である。

「野球賭博は毎日最大6試合あるし、競馬・競輪やパチンコと違って結構な確率で勝てる。それに、週に一度の決済だから、週の前半で負けても、週末に大きな額を賭ければ、一気に逆転することもできそうな気にもなってくる。それが一番の魅力かな。だから、カネと時間がある人間が一番いい客になるんだよね。昼間から、ああでもない、こうでもないと情報を調べて、数十万、数百万のカネを動かせる立場にあったりしたらちょうどいい。1回でも賭けたカネが倍なる経験をすれば、のめり込んじゃうんだよ」

 現役力士の月収は十両以上で100万円以上、幕内上位だと200万円以上にのぼる。「1日数万円をギャンブルに使っても平気。むしろ博打好きでハマりこんでくれる金持ち」をつかまえることができれば、胴元は安泰となる。だからこそ、胴元は、金持ちとのパイプを持つ人間、例えば、床山の他にも、高級クラブ・性風俗店の経営者や弁護士、会計士、保険外交員、不動産業者などにコンタクトをとり、彼らを仲介者とする。また、仲介者も成果に応じて手数料が積み上るため、必死に客を増やそうとするのだ。

 仲介の連鎖は何重にも重なっており、そのピラミッドが大きくなるほど、胴元の扱い高も増加する。仲介者のもとには、自分の下に直接ついた客からの賭け金と、さらにもう一つ下の仲介者が処理しきれなかった余剰分の賭け金が納められる。自分のところで処理できない余剰賭け金はさらに上の仲介へと上がっていき、最終的に胴元である組織に納められる。

 胴元にとって最大のリスクは、警察に「賭博開帳図利罪」で摘発されることである。しかし、このピラミッドの特徴は、そこに属する関係者の全容把握が極めて難しいことにある。

 それぞれの仲介者は、自分の一つ上にいる仲介者までしか知らされていない。そのため、「枝」が摘発されたとしても、組織全体が検挙されることはない。警察が摘発に動き出したとしても、個々の賭博行為の有無は把握できるが、胴元まで到達するのは容易ではないのだ。

 通常は、仲介者と客は顔が見える関係にあり、また賭博行為の共犯関係にもあるため、裏切りが起こりにくい。仮にどちらかが裏切ろうとしても、通常は両者が賭博に手を染めていることから、表沙汰にはなりにくく、またピラミッド外部の人間からの告発があったとしても、そこを起点に芋づる式にピラミッドの全貌を明らかにする、ということも困難である。


 信頼できるネットワークを拡大した胴元の多くは、1日当たり数百万の賭けを引き受け、その寺銭1割を儲けるようになる。かつては、特に関西において盛んであったという野球賭博だが、「今では全国に大きな胴元が点在している状態」(前出、性風俗店経営者)だという。

 いかに科学が発展し、合理的な計算が可能になろうとも、災害は発生し続け、病で人は死ぬことはある。本来、社会はコントロール不能なもので溢れているのだ。

 しかし、それにもかかわらず、私たちはそのコントロール不能な社会の「残余」に目を向け、それがコントロール可能な方向に転じるよう、身を投じることをやめようとしない。そして、そこに接近した時に得ることができるもの(それは快感なのか、安心感なのか、征服感なのか、充足感なのかはわからないが)を求め続けている。

 もし、ギャンブルがそのあからさますぎる形だとするならば、それ自体は社会の見えやすい部分から消えていき、もし存在するとしても、より清潔なものへと姿を変えているようにも見える。しかし、例えばコンプガチャの問題が取り沙汰されたときに、「ギャンブル的なるもの」自体がなくなっていないこと、いや、むしろ社会の隅々にまでより見えづらい形で広がっていることに気づきもする。

 表舞台から少しずつ姿を消し、同時に闇の中へと埋もれていく違法ギャンブルが語る状況は、私たちが暮らす社会と無縁の何かなどではなく、私たちの社会そのものなのかもしれない。

























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