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航空ショーにオスプレイ 尾翼に「竜」、在韓米軍基地―沖縄知事、米国に到着 暴力事件抗議へ

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 韓国北西部の在韓米軍烏山基地で20日、基地を一般に公開して戦闘機などの展示やデモ飛行を行う航空ショーが開かれ、沖縄県の米軍普天間飛行場に配備された新型輸送機MV22オスプレイ1機が展示された。

 展示されたのは、尾翼に「竜」の文字が書かれ、赤く塗装されていることから隊長機とみられる。別のオスプレイ1機とともに19日に普天間飛行場から山口県の米軍岩国基地を経由して韓国に到着した。

 航空ショーは在韓米軍と韓国空軍が毎年共催するイベントで、今回は21日までの2日間開催される。


 米軍の新型輸送機MV22オスプレイの日本全土への配備に反対する集会が21日、鹿屋市西原3丁目の海上自衛隊鹿屋航空基地前であった。大隅半島の市民団体などから約30人が参加し、座り込みなどの抗議活動を行った。「反戦・反核・平和運動をすすめる大隅市民の会」が同日の国際反戦デーにあわせ主催。参加者は「オスプレイは日本を守るものではない」「なぜ受け入れるのか憤りを感じる」などと反対を訴えた。


 沖縄県の仲井真弘多知事は21日深夜(日本時間)、米国で開かれる県主催のシンポジウムに出席するため、全日空機でワシントンに到着した。米政府関係者とも会談し、米兵2人が集団強姦致傷容疑で逮捕された事件について抗議する予定。25日まで滞在する。

 出発に先立ち、仲井真知事は成田空港で記者団に「垂直離着陸輸送機オスプレイや、この間の事件について話をしてこようと思う」と述べた。

 仲井真知事は、23日に沖縄の基地問題に関するシンポジウムにパネリストとして出席し、普天間基地(沖縄県宜野湾市)の移設問題や、同基地に配備されたオスプレイについて沖縄側の考えを述べる。

 米国務省や国防総省の担当者との会談は22〜24日のいずれかで調整中。相手は決まっていないが、知事は事件の再発防止や、日米地位協定の抜本的な改定、オスプレイの沖縄以外への再配置などを強く求める。


◆オスプレイ 低周波音 基準超え 普天間 建具がたつく超低周波も

 米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)に配備された垂直離着陸機MV22オスプレイが発する低周波音が、測定されたすべての機体で基準値を上回り、建具などががたつくような超低周波音も記録されていることが、琉球大の渡嘉敷健准教授(環境工学・騒音)の調査で分かりました。

 低周波音は音として聞こえにくいものの、周波数によっては不快感や圧迫感といった心理的影響や、建具に振動を与えるなどの物的影響を与えます。

 渡嘉敷准教授によると、オスプレイの飛行によって宜野湾市上大謝名地区で90デシベルの大きさの騒音レベルが観測されています。90デシベルの騒音は、目の前を大型トラックが通過するのと同じレベルです。

 渡嘉敷准教授は、同県名護市辺野古への新基地建設に向け沖縄防衛局が作成した環境影響評価書に示された低周波音の基準値(閾値(いきち))と比較しました。宜野湾市の普天間第二小学校の屋上での調査では、1日以降連日、心理的・生理的影響、物的影響のいずれにおいても「閾値」を超え、超低周波音(20ヘルツ、80デシベル)も繰り返し、記録されました。(グラフ)

 オスプレイと交代する予定のCH46ヘリも「閾値」を上回りましたが、超低周波音は一度も記録されていません。

 渡嘉敷准教授は「騒音の大きさに加え、低周波音を含んでいることが、オスプレイの飛行による不快感をさらに増している」と分析。「環境影響評価書でも低周波による影響が指摘されているにもかかわらず、住宅密集地に存在する普天間基地にオスプレイを持ってくること自体が問題だ」と語りました。


◆安全保障利権を貪る連中【テレンス・リーのニュースを斬る!】

 沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場に12機のオスプレイが配備された。地元沖縄県民の強い反対を押してなお、それでも配備した背景にはアメリカの世界戦略だけでなく、軍産複合体の巨大な利権構造が複雑に絡み合っている。

 ベトナム戦争では兵員及び武器・弾薬などの補給にヘリコプターが大活躍したが、ヘリコプターは速度が遅く、航続距離が短く、積載量が少ないという弱点がある。その弱点を補うべく大型輸送機を使おうとすれば、離着陸のために最短でも1500メートル以上の滑走路が必要な上、格納庫や整備施設など、広大なスペースを確保せねばならない。 これらの問題を解決するには、ヘリコプターのように垂直離着陸、ホバリング(空中での停止)、超低空地形追従飛行が可能で速度が速く、航続距離が長く、積載量が多い航空機を開発する必要があり、オスプレイはこうした明快な要求で第二次世界大戦終結直後から、次世代型航空機の花形として研究と開発が進められてきたのだった。

 確かにオスプレイが完璧なものかといえば疑問だが、欠陥品と結論づけるのも拙速であろう。通常配備されている兵器の多くがそうであるように、故障も事故もないというのは皆無に等しい。 だから、本当の問題は軍需産業界と政界、軍部との癒着に求めるのが筋なのだ。 つまり、天文学的な予算が動く軍需産業界においては、一度動き出したプロジェクトを止めることはほぼ不可能といっていい。血よりも濃い利権で結ばれる軍産複合体は、仮にオスプレイが欠陥商品だと分かっても絶対に計画を変更しないのが常識だ。 配備から逆算して発注という構造がある以上、これまた逆算すれば発注したものは必ず配備することになる。

 こうしたアメリカの世界戦略的、経済的理由からオスプレイは配備されたわけで、そこには沖縄県民が長年にわたり強いられてきた苦汁は爪の先ほども加味されてはいない。東アジア、極東地域の緊張状態を考えたとき、オスプレイの配備を単純に「否」といえないムードも理解できるが、日本の安全保障を隠れ蓑に利益を貪る連中のプロパガンダに踊らされ、沖縄県民だけに負担をかけることに、私は激しい抵抗感がある。


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 アメリカの世界戦略的、経済的理由からのみオスプレイが配備されたわけではなく、日本がアメリカとが軍事同盟の関係にあることも一因である。アメリカの世界戦略を否定するのであれば軍事同盟をも否定しなければならないだろう。オスプレイ配備の理由に日本の安全保障を主張しているのは日本政府であって、アメリカではない。

『東アジア、極東地域の緊張状態を考えたとき、オスプレイの配備を単純に「否」といえないムードも理解できるが、日本の安全保障を隠れ蓑に利益を貪る連中のプロパガンダに踊らされ、沖縄県民だけに負担をかけることに、私は激しい抵抗感がある。』としているが、『沖縄県民だけに負担をかけることに、私は激しい抵抗感がある』のであって、『日本の安全保障を隠れ蓑に利益を貪る連中のプロパガンダに踊らされる』ことはいいとしているのだろうか。そうだとすれば分散論の主張であり、前記の日米軍事同盟は堅持だということなのだろう。



 暴力と暴行の違いはなんだろう。暴力→乱暴な力、暴行→乱暴な行いは、言葉遊びとして面白い。乱暴といえば赤子も乱暴である。そのためベビーサークル(赤子の織)などを必要とする。しかし赤子の乱暴さを暴力や暴行とする人はいないだろう。力と行いを結ぶつけた言葉に「力行」がある。その意味は、努力して仕事などに励むこと、努力して行うこと。ちからの限り目標に向かって努力することである。この意味に乱暴さを結合させると、努力して乱暴に励む、努力して乱暴を行う、乱暴に向かって努力する、となるだろうか。それが暴力や暴行の意味でもあるのだろうか。

 全ての人間の身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者に加えられることを、通常、乱暴としているから、それが暴力や暴行としていいだろう。そして力行して乱暴する者の集団を暴力団としていいのかも知れない。では、暴力団は暴力を行う集団であっても、暴行や傷害とは無関係な団体なのだろうか? しかし、実際の暴力団は傷害、暴行、暴力等々、何でもござれの集団である。従って、これは正確な名称ではないはずである。

 ある人は、強姦を『女性の性器に女性の了解無く男性が性器を挿入する行為』と定義している。そして、その強姦を暴行とし、強姦を含む腕力により相手を屈服させる事、強盗、暴行傷害を暴行、そして、暴力を言葉、言論を含む相手を傷つける行為と定義している。

 しかし、民主制度とは、多数決社会であり、言論の自由が保障された社会である。こうした社会で、言葉の暴力とか数の暴力という言葉が成り立つとするなら、それは民主制度の否定になるだろう。

 また、ある人は、暴行を事件の総称とし、暴力をいわゆる殴る蹴るとし、強姦を性的な行為がある暴行としている。確かに、暴行罪はあるが、暴力罪はないから、暴力を含めた事件をすべて暴行事件としても誤りだとはいえないだろう。この場合、警察発表を鸚鵡返しいう能力しかない新聞記者などに向かって「暴力と暴行の違いを教えてください」としても、その返答は、やはり「暴行罪はありますが、暴力罪はありません。従って、それが暴行か暴力かと検討する必要はありません。全ての人間の身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者の意思に反して強制的にくわえられることは、すべて暴行でしょう」となるのではないだろうか。それだと暴力団も暴行団とすべきだが、そうした主張はメディアにない。

 全ての人間の身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者の意思に反して強制的にくわえられると暴行となる。それは正しいと思う。では暴力とは何だろう。暴力とは、他者の意思に反して、こちらの意思を一方的に相手に押し付ける物理的破壊力である。こう定義付けすることができる。そして、暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけである。つまり、暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力が社会の中で準備されなければならない。社会学者のマックス・ウェーバーは国家の成立にあたっては軍隊、警察といった暴力を行使できる組織を正統的に独占することが必須であると定義した(暴力の独占)。この暴力に対しては常に、その正当性・合法性が問われる。それは当然だろう。

 これに対して、他者の意思に反して強制的に加えられる物理的破壊力は暴行でも、暴力ではない。というのも、他者の意思に反して強制的に加えられる物理的破壊力は自然も行いうるからである。台風の被害を「他者の意思に反して強制的に加えられた物理的破壊力」なのだから、それは暴行だとは、誰も言わない。
 
 また、全ての人間の身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があるのだから、その能力が他者の意思に反して強制的に加えられた物理的破壊力が暴力なのだろうか。それは違う。ある人が後方に人がいるとは知らず、腕を真横に伸ばし、ヘリのように思いっきり身体を捻った際、後方にいる人に「その能力が他者の意思に反して強制的に加えられた物理的破壊力」なのだから暴力だ、とは誰も言わないだろう。また刑法的にも、暴行罪として起訴するかどうかは検察の判断だが、普通は傷害事件、ないしは和解による不起訴になるだろう。

 だから暴行と暴力の違いは、暴行が「全ての人間の身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があるのだから、その能力が他者の意思に反して強制的に加えられた物理的破壊力である」に対し、それに加えて「こちらの意思を一方的に相手に押し付ける」行為が介在した場合に暴力となるといっていい。

 沖縄では、少なくともメディアでは、今回の集団強姦事件を暴行事件として捉えれている。つまり、強姦とは、こちらの意思を一方的に相手に押し付ける行為ではないということである。動物のセックスには意思は存在しない。その世界では相手の意思を確認し合ってセックスを行うのではない。その意味で、沖縄人のセックス観は動物のそれと同じだと見ていいのだろうか。

 沖縄人のセックス観はともかく、暴行と暴力とは大きな違いがある。それは人間と動物を分かつ違いに基づくものともいえる。したがって、現在、刑法では暴力とされるものでも暴行罪に含まれて裁かれる。このふたつをわけてはどうだろう。そして暴力罪により重い刑罰を科すべきではないだろうか。裁判員制度が始まって。性的虐待に対し厳しい判断が下されているという。それは単に性的虐待という犯行形態への嫌悪という意味だけでなく、その行為が人間的尊厳を著しく陥れる行為として受取られているためではないだろうか。日本は欧米とは異なるが、欧米では制度とは意識の成文化・明文化として理解されている。その意味でも裁判員たちの性犯罪への意識を制度に反映させるべきではないだろうか。

























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