・女性宮家問題再燃の背景
野田首相は、女性皇族が結婚後も皇族の身分にとどまれる女性宮家の創設について、皇室典範の改正を含めて検討する方針を示した。すでに政府は有識者へのヒアリングを行なうなど、改正に向けた動きを進めようとしている。皇室典範改正については、平成17(2005)年、小泉内閣時代に設置された「皇室典範に関する有識者会議」が記憶に新しい。当時、秋篠宮文仁親王と紀子妃殿下のもとに悠仁親王は生まれておらず、皇太子殿下の次の世代は、愛子内親王をはじめ女性皇族しかおられなかった。皇太子妃である雅子妃殿下が適応障害になられたということもあり、その後、皇族から男子が生まれる可能性は低いとも考えられていた。
このままでは皇位継承者がゼロになる可能性も高く、そこから有識者会議では「皇位継承者を女子や女系の皇族に拡大する必要がある」とする報告書をまとめた。しかし、翌18(2006)年に悠仁親王が生まれたことから、この論議は中断されたまま今日に至っている。
それがここへ来て女性宮家創設の論議が再燃しているのは、秋篠宮家の長女である眞子さまが20歳となられたからだ。まもなく大学を卒業される予定で、そうなればいずれご結婚という話にもなる。やがて眞子さまがご結婚され、さらに次女の佳子さまもご結婚されれば、秋篠宮家に残る皇族は悠仁さまだけになってしまう。一度、降嫁されたらもう皇族には戻れない。天皇陛下の長女である旧紀宮清子内親王は、ご結婚されて黒田清子さんという民間人になられた。少なくとも秋篠宮家のお二人には、結婚後も皇族として残っていただく必要があるのではないか。もちろん愛子さまにもそうしていただく。そうした背景が今回の女性宮家問題の再燃にはある。
たしかに、悠仁さまはまだ5歳で、差し迫った皇位継承の危機があるわけではないという声もある。しかし、悠仁さまがご結婚されて、次の皇位継承者が生まれるまで、少なくとも二十数年はかかる。その間、ほかに同じ世代の皇位継承者がいないというのが、非常に危うい状態であることに変わりはない。
・現実的な選択肢
現在の皇室問題をめぐる最大のテーマは、「万世一系の危機」をいかに乗り越えるかである。小泉内閣時代の有識者会議は、男子の後継者がゼロという危機感から生じた。今回は成人しつつある女子の皇族をどうするかで、具体的内容はそのときどきによって異なる。その意味で今回の論議は、かつての有識者会議の結論に拘束される必要はない。
また前回の有識者会議では、いわゆる女帝を認めるかどうかという議論があったが、しかし一方で愛子内親王に婿がくる可能性については、真剣に話し合われていたようには思えない。仮に愛子さまが皇位継承者となった場合、結婚する男性は、のちの「皇配殿下」となる。つまり、イギリスのエリザベス女王の配偶者、フィリップ殿下のような立場になるわけで、はたしてその任を務められる男性がいまの日本にいるだろうか。
「のちの女帝の夫」という立場ともなれば、本人の人柄だけでなく、家系も問われることになるだろう。父や祖父の代だけでなく、曾祖父、またもっと遡って出自や功績が問われることになる。現代日本では、曾祖父の代まで遡って立派な家柄というのは、そう多くはない。民間企業でも三代続くとダメになっているケースが多い。うまくいっている企業は、ほとんどが途中でサラリーマン社長になっている。
イギリスの場合、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵といった貴族がいて、そこから配偶者を決めることができる。だが現在の日本には、そのようなシステムはない。明治維新後は、大名家から転じた華族がおり、土地がたくさんあるなど不労所得がそれなりにあるケースも多かった。戦後、華族制度は廃止され、相続税によって代々の財産もなくなっている。
先の有識者会議で愛子さまの配偶者に関する具体的議論がなされなかったのも、こうした点に原因があると思われるが、今回、女性宮家創設に絡んで、そのような議論は必須である。この解決策として有効だと考えられるのは、旧皇族の男系男子から婿をとるというものである。女性皇族は何人か旧皇族男子と見合いをするなかで、相性の合う人を探す。昔はみんな見合い結婚だったことを考えれば、それほど突飛な話ではない。あるいは、見合いのような堅苦しいものでなく、まずは旧皇族が集まる場をつくり、知り合う機会をつくるところから始めてもよいのかもしれない。女性宮家を認めたうえで、婿は旧皇族に限る。さらにその婿が明治天皇の血を引く者であれば、国民も納得しやすいだろう。万世一系を維持するための「現実的な選択肢」ということを考えた場合、これが唯一ありうるものではないか。
・天皇家を補佐する人間がいない
ところで、今回の女性宮家創設問題は、そもそも羽毛田信吾宮内庁長官が昨年10月、政府に進言したことに端を発している。しかし、これは必ずしも天皇陛下のご意思を代弁したものではないとして、反発する向きもある。実際に羽毛田長官の発言が、誰の意思を反映したものかはわからない。羽毛田長官は元厚生労働省事務次官で、そこから旧内務省の流れを汲む厚労省の意向が働いているという見方がある。
いずれにせよ、女性宮家の創設は官僚が勝手に決めているのではないかと世間には思われているわけで、これは現在、天皇陛下によきアドバイザー役がいないことを示している。昭和天皇の時代には、木戸幸一が内大臣として昭和天皇の補佐役を務めていた。また入江相政侍従長、その後、やはり侍従長になる徳川義寛次長らが健在で、元華族の彼らは補佐役の役割を果たしていた。
また今上天皇の皇太子時代には、小泉信三という師父がいた。美智子妃殿下とのご結婚についても、彼がよきマネジメント役として演出を手がけていた。しかし、現在の皇室にはそのような存在がいるのかどうかは疑わしい。周りにいるのは宮内庁の官僚、それも霞が関の他の府省から順番に出向してきた融通のきかない官僚たちである。他省からの出向で来ているから、みな本省ばかり向いている。自分の出世だけを考え、天皇を守るという立場にない。
基本的に官僚は、皇族の権威を利用できれば利用したい。自分たちの関係する団体の式典や催しに、できるだけ臨席してもらいたいと考える。その結果、皇族は肉体を酷使されることになる。とくに、すでに78歳になられた天皇陛下には公務の負担が大きく、心配された秋篠宮殿下が天皇の定年制を提案されたほどであった。これも天皇の側に立つ人間が、役人のなかにいないことを表わしている。少なくとも皇族のスケジュール管理は、官僚に任せてはいけない。民営化して民間人から募ったほうがよい。霞が関からの侵食を防ぐためには、官僚と渡り合えるような民間出身の人間を皇室の周りに配置しなければならないだろう。
いま起きている天皇家の後継者問題とは、「家族としての危機」の問題でもある。これは周囲に役人しかいないことが大きい。家族とは「柔らかい」もので、それを役人、制度という「堅いもの」だけで囲んでいるから、問題が生じてくるのだ。家族と制度のあいだを埋めるような、潤滑油のような存在をつくらなければ、危機の解消は難しいだろう。
家族の危機という問題を考えたとき、雅子妃をともなわず、皇太子殿下が一人で公務に出席されている姿は国民の同情を誘う。天皇皇后両陛下がつねにご一緒に行動されることからもわかるように、基本的に皇族はご夫婦で動く。東日本大震災から1カ月後の4月、秋篠宮ご夫妻を避難所となっていた東京ビッグサイトにご案内して驚いたのだが、お二人は完全に「チーム」として行動されていた。「あなたがこちらを回ったら、私はこちらを回る」というように、阿吽の呼吸で動かれていた。皇太子殿下の苦衷が察せられるだけに、天皇家の側に立って補佐する人間はやはりどうしても必要だと思う。
・日本人の「記憶装置」として
もともと天皇の権威とは、その血の希少性によって裏づけられてきた。今上天皇で125代となる日本の天皇は、遡れば、神話の御世までいく。これは非常に重要なことであり、日本人のアイデンティティーの根幹を成している。日本列島では太古から地震や洪水、津波など、数々の災害に見舞われ、そこから日本人のなかに一種の無常観のようなものがつくられてきた。こうした歴史的な蓄積のなかで、日本人が先祖のルーツを辿るための「一種の記憶装置」としてつくられたのが、万世一系という物語であったといえる。
もちろんイザナギとイザナミの「国生み神話」をはじめ、『古事記』や『日本書紀』に記された天皇家にまつわる物語を「史実」であると確定する方法はない。だが、たとえばキリスト教社会でも、アダムとイブの話を「史実」と考える人は少ないだろう。日本の場合、おそらく太古から各地に伝わるさまざまな神話やお祭り、習俗があり、それらを一つの体系としてまとめたものが『古事記』や『日本書紀』に神話として記されたのだろう。日本という風土に対する「始まりの物語」は、近代になっても日本人のなかに受け継がれてきた。
かつて僕は処女作『天皇の影法師』(日本の近代猪瀬直樹著作集10/小学館)のなかで、森鴎外の『かのやうに』という小説を引いた。万世一系という物語によって日本という国の秩序が深いところで支えられていると考える父親が、洋行帰りで、神話が歴史でないということを言明することなしには、科学的な歴史の研究を不可能だと感じて悩む息子に対し、「祖先の霊があるかのやうに背後を顧みて、祖先崇拝をして、義務があるかのやうに、徳義の道を踏んで、前途に光明を見て進んで行く」と諭す場面だ。欧米人の現在がキリスト教を軸にしながら過去と結びついているとしたら、日本人は近代社会でまさに「かのやうに」生きた。
そして天皇はいまも日本の最大の権威として、数々の儀式を司っている。形式とはいえ内閣総理大臣を「任命」したり国会を「召集」するわけだし、あるいは11月23日には、その年の収穫に感謝する新嘗祭を行なう。いまでは、この「勤労感謝の日」と呼ばれている日の意味を知らない人も増えているが。儀式には、それを執り行なう権威が必要で、さもなくば成り立たない。繰り返すが、その究極の権威が日本では天皇なのだ。
日本の天皇が権威として行なう大事な仕事は、「名誉の分配」だ。震災があれば、被災者に労りの声をかける。あるいは障害者や高齢者など社会的弱者とされる人たちに寄り添い、式典や催しに臨席する。長年いろいろな分野で尽くしてきた功労者たちを讃え、勲章を授ける。
一方で政治家は権力の担い手であり、彼らに求められるのは「利益の分配」である。ただし正確には、それすら霞が関が行なっている。日本を一つの企業にたとえたとする。すると総理大臣は社長ではなく、せいぜい社外取締役といったところであろう。1年で代わる総理大臣に、もともとそんな強い権力があろうはずはない。
他方、アメリカでは、権力も権威も大統領という一人に集約される。この伝統がアメリカに生まれたのは南北戦争が契機となっている。この戦争でアメリカは当時の人口の2%に当たる60万人もの死者を出した。それも働き盛りの男性ばかりである。それほどたいへんな内戦だった。これ以降、同じことを繰り返さないためのシステムとして4年に一度、1年間かけて“内戦”を行ない、その勝利者に権力と権威の両方を与えることにした。つまり、大統領選だ。その勝者には、きわめて強いリーダーシップが求められることになった。
あるいは中国の場合、各地に分散する勢力が中原で覇を競うかたちで王朝が成立。それが崩壊すれば、また新しい覇王が現われて、王朝をつくる。また覇王になれるのは、徳を積んだ者だけであるとされており、まさに権威と権力を束ねた専制君主として君臨することになる。そうしてなんとか広大な中国を統治するということを、秦の始皇帝以来、繰り返してきた。この基本はいまの共産党王朝でも変わらない。中国では政治家に大きな富が集積する傾向にあるが、それは権威と権力を併せ持った存在だからだ。一方、中国と比べて日本では政治家に富の集積がそれほど進まないのは、権威と権力が分散しているからだ。そこに日本の独自性がある。
・外れたアメリカの思惑
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は天皇家と直宮家を除く十一宮家を皇籍離脱させた。戦前、軍部は皇族を権威づけに利用していたが、GHQには軍国主義の芽を摘む目的があった。一方で、GHQは東條英機をはじめ「A級戦犯」とされた政治家(権力)だけを斬り、皇室(権威)のほうは存続させた。昭和天皇の退位をもっとも望まなかった男、それはマッカーサーであった。退位してしまえば、占領政策に天皇家を利用できなくなるからだ。皇室を残したおかげで、アメリカの日本の占領コストはきわめて安くついた。
もっとも、アメリカは天皇家に「戦争責任」はないと考えていたわけではない。拙著にも記したが(『東條英機処刑の日』文春文庫)、占領期の日本にアメリカはある日付の刻印を残した。東條英機らの処刑を当時まだ皇太子明仁親王殿下の15歳の誕生日に行なったのである。そこには将来、日本人が天皇誕生日を迎えるたびに、当時のことを思い出させようという「時限装置」としての役割があった。
実際には、日本人はそのことをすっかり忘れてしまったため、アメリカの思惑は機能しなかった。忘れていなかったのは、当時15歳だった今上天皇のほうだった。天皇陛下の名のもとに、300万人の日本人が死んだ。だからこそ、陛下はサイパン島など戦地への巡礼を熱心に行なってきたのだろう。民間人出身の美智子さまとご結婚されたのも、「国民との再契約」という意味があった。また、美智子妃もそれを十分すぎるほど知っていたから、陛下とともに戦地巡礼を行ない、一緒に戦争責任を背負おうとしてきたのだろう。
そして震災後、両陛下は震災の犠牲者を慰問し、被災した人びとを励ましている。このようなことができるのは、まさに皇室だけであり、その権威に揺るぎはない。しかし、そうした皇室がいま「万世一系」の危機を迎えているのである。
現在、旧皇族出身の竹田恒泰氏によって『古事記』の現代語訳を全国のホテルに配布しようというプロジェクトが始まっているという。日本の神話をもっと身近にするうえで、非常にいい試みだと僕も評価している。『古事記』には、日本人の原型がいかなるものであったか物語として表現されているからだ。
たとえば、死んだイザナミを追ってイザナギは黄泉の国に行くが、見ることを禁じられていたイザナミの姿は腐乱死体となっていた。驚いて逃げ出すイザナギの姿には、死の恐怖がみてとれる。しかし、その腐乱死体から新しい作物が生まれ、それが育って収穫されるという物語である。こうやって太古から、日本人は死と生を循環させながら、心の安定を得てきたということがわかる。それらの記憶を装置として保持しているのが、万世一系の天皇家なのである。
いま、皇室の存続に当たって血の継承という以外に、もう一つ僕が危惧しているのが、最近の日本人に死に対する恐れみたいなものがなくなってきていることだ。もともと人間はちっぽけな存在であり、いつかは死ぬ。だからこそ、祖先崇拝の気持ちも生まれてくるのだし、宗教心をもつようになる。それがいまの日本人に失われているとしたら、皇室の権威もまた揺らいでこざるをえないだろう。
(『Voice』 2012年3月号「「万世一系の危機」にいまから備えよ 猪瀬直樹 (作家、東京都副知事)」より)
日本の神話と呼ばれているもののなかには、それが日本独自であると宣伝されているが、実際にはそうでないものもある。たとえば「憲法9条」や「万世一系」である。これが存在しているのは日本だけではない。
『かつて僕は処女作『天皇の影法師』(日本の近代猪瀬直樹著作集10/小学館)のなかで、森鴎外の『かのやうに』という小説を引いた。万世一系という物語によって日本という国の秩序が深いところで支えられていると考える父親が、洋行帰りで、神話が歴史でないということを言明することなしには、科学的な歴史の研究を不可能だと感じて悩む息子に対し、「祖先の霊があるかのやうに背後を顧みて、祖先崇拝をして、義務があるかのやうに、徳義の道を踏んで、前途に光明を見て進んで行く」と諭す場面だ。欧米人の現在がキリスト教を軸にしながら過去と結びついているとしたら、日本人は近代社会でまさに「かのやうに」生きた。』
祖先の霊が背後に・・・以下は、論語の影響だろう。孔子は祖先の祀りに対して訊かれたとき「祖先を祀るときはそこに在ますかのように・・・」と応えている。ただ、祖先の霊が「そこにいると信じろ」なのか「そこにいる」なのか、死後の知覚の存在について孔子は一言もいっていない。彼は死後の知覚の有無については一言も応えず「死後が存在たら・・・」「死後が存在しなかったら・・・」といったような、その設定が社会に与える影響についてのみ言及している。その筋で鴎外の言葉を理解すると、「天皇を崇拝することは、祖先を崇拝することと同じであり・・・」としたのだろう。それと歴史の研究を科学として行うことは全く矛盾しない。
一方、キリスト教は死後の知覚について言及する宗教である。死後の知覚の仕方が社会にどのような影響を与えるか考慮しないさいなどといった発想はない。それにキリスト教圏の国々でも、それの信者にとっては「歴史の研究を科学として行う」ことは許されざる行為のひとつである。聖書を歴史として研究する。それは当たり前のことだが、信者にとっては耐えがたいことでもある。高名な聖書学者でも「悪魔の使者」というレッテルを張られることを当たり前としている。それほど聖書を科学として行うことは普通ではない状況である。
また『家族の危機という問題を考えたとき、雅子妃をともなわず、皇太子殿下が一人で公務に出席されている姿は国民の同情を誘う。天皇皇后両陛下がつねにご一緒に行動されることからもわかるように、基本的に皇族はご夫婦で動く。』というが、それはここ数十年の現象であって事実ではない。昭和天皇の行幸の大半はひとりである。
今の日本では浩宮殿下と雅子妃殿下への非難が多い。それは次のような背景があるのだろう。『日本の天皇が権威として行なう大事な仕事は、「名誉の分配」だ。震災があれば、被災者に労りの声をかける。あるいは障害者や高齢者など社会的弱者とされる人たちに寄り添い、式典や催しに臨席する。長年いろいろな分野で尽くしてきた功労者たちを讃え、勲章を授ける。一方で政治家は権力の担い手であり、彼らに求められるのは「利益の分配」である。ただし正確には、それすら霞が関が行なっている。日本を一つの企業にたとえたとする。すると総理大臣は社長ではなく、せいぜい社外取締役といったところであろう。1年で代わる総理大臣に、もともとそんな強い権力があろうはずはない。』
名誉の配分を皇室が行うようになったのは、それもまた昭和天皇からである。それが慣習のようになってしまった。今上陛下と美智子皇后は昭和天皇のあり方を継ぎたいという。しかし
浩宮殿下と雅子妃殿下は必ずしも昭和天皇のあり方を継ぎたいというわけではなさそうだ。それはそれでいいのである。というのも昭和天皇のあり方は憲法にも皇室典範にも記されている義務ではないからである。
皇室の方々の個々の意思と選択を尊重する。それが皇室と国民とを直接につなげ、中間に政治家や官僚が入らないようにするための配慮だろう。しかし、猪瀬直樹東京都副知事は、彼らの個々の意思と選択を尊重することなく政治家や官僚批判を行っている。不思議な発想である。
全体的に猪瀬直樹の論説は、論語的日本の秩序が崩壊しつつある危惧を皇室問題にすり替えて語っているといった感じである。ただ官僚への批判や、その考え方に連なる政治家たちが議論なし(もっとも彼らに議論・論争ができるかは知らいないが…)に突っ走っているという指摘はその通りかも知れないとは思う。