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村上春樹、京大で語る”人々が持つ物語のモデルを提供する”ー心境の変化、最近コミットメントを考える

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 世界的な人気作家で、公の場で語ることの少ない村上春樹さんが、京都でファンを前に講演し、「小説を通して心のつながりを作りたい」と、書くことの意義を語りました。

 講演会は、臨床心理学者で、生前、村上さんと親交の深かった、河合隼雄さんのゆかりの財団の呼びかけで実現しました。

 会場の京都大学のホールには、熱心なファンが開演の1時間以上前から訪れ、抽せんで選ばれたおよそ500人が講演を聴きました。

 講演は、カメラ撮影や録音が認められないなか、対談形式で行われ、村上さんは小説を書くことについて、「人の本当の姿は見えない部分にあり、小説は見えていない物語を描き出すことが必要だ」と指摘しました。

 そのうえで、「小説を通してそれぞれが持つ物語が共感し合い、深みを増していくもので、心のつながりを作りたい」と、書くことの意義を語りました。

 また、先月、発売された長編小説、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について「人は心に傷を受けても時間をかけて少し成長する。そうした成長物語を書きたいと思った」と、新作に込めた思いを語りました。

 さらに、地下鉄サリン事件の遺族を取材したあと涙が止まらなくなった経験を語り、「本当に悲しい体験が小説を書かせてくれる。事件の遺族を題材にした作品を読み返すと、あの時の気持ちがよみがえってくる」と、作品を書き続ける原動力の1つとして悲しみがあることを明かしました。

 今回の催しは、臨床心理学者で、文化庁長官も務めた故・河合隼雄さんの遺志を受け継ごうと、ことし新たに創設された「河合隼雄物語賞・学芸賞」を記念して開かれました。

 平成19年に亡くなった河合さんは、ユング心理学の研究で知られましたが、文学にも深い関心を持ち、多くの作家と交流がありました。

 村上春樹さんとも親交が深く、村上さんは、河合さんと会話を交わすことについて、「頭の中のむずむずがほぐれていくような不思議な優しい感覚があった」と著書の中で明かしてます。

 阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた平成7年には、村上さんが河合さんの地元の京都を訪ねて対談を行い、その内容は、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」と題された本にまとめられました。

 この対談の中で大きなテーマとなったのは、個人と社会との関わりについてでした。

 対談では、二人が、かつての学生運動や震災、オウム真理教の事件に触れ、自身と社会との関わりについて考えを語り合いました。

 この中で、村上さんは「関わりのなさ」を意味する「デタッチメント」が自分にとっては重要だったが、自分の社会的責任感のようなものをもっと考えてみたくなったと述べたうえで、「関わり」を意味する「コミットメント」について最近よく考えるようになり、自身の心境が変化していると語っていました。

 6日の催しを主催した河合隼雄財団の代表理事で、心理学の視点から村上春樹さんの作品を分析した著書も出している河合隼雄さんの息子の京都大学教授河合俊雄さんは、「きょうの村上さんの発言の中に、父との対談でもあったコミットメントということばが出てきましたが、村上さんの中でもコミットメントの意味が変わってきていると思います」と述べたうえで、「コミットメントというと何か社会に関わるようなことを意味するようにも聞こえますが、それだけでは暴力的になったり独り善がりになることもある。村上さんのコミットメントは、他人の存在を認めることだと思います」と話していました。

 そのうえで、河合さんは「物語がどのようにほかの人に向けられるか、それがどのように共鳴しあうか。村上春樹さんと河合隼雄の2人が共有していたものを(きょうの講演で)われわれも感じたというところが大きかったなあと思います」と語っていました。


 作家の村上春樹さん(64)が6日、京都市の京都大で「河合隼雄物語賞・学芸賞」創設記念の催しに出演した。先月刊行された新作長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に触れ、前作「1Q84」で日常と非日常の境が消失した世界を描いたのに対して「今回は、表面は全部現実だが、その底に非現実があるというものをやりたかった。新しい文学的試み」などと語った。

 チェック柄の半袖シャツにグレーのジャケット姿で現れた村上さんは講演で「物語は人の魂の奥底にある。小説家はその深い所へ下りていく。臨床心理学者の河合先生ほどそのことを理解し、共感できた人は他にいません」と故人をしのんだ。

 評論家の湯川豊さん(74)の質問に答える「公開インタビュー」では、デビュー以来の作品と内面の変化をたどり、「(1990年代前半の)『ねじまき鳥クロニクル』で重層的な世界を作り、上のレベルに上がることができた」と分析。さらに「1Q84」では「三人称スタイルで総合小説を書こうとし、それができた」と述べた。

 地下鉄サリン事件の被害者らにインタビューしたノンフィクション「アンダーグラウンド」(97年)についても、「遺族の方に3時間インタビューした後で、1時間も泣いた。大きな体験だった」と振り返りつつ、「2000年ごろ、ようやく書きたいものが書けるようになった」と話した。

 村上さんはストーリー重視の「物語」小説の重要さを強調し、「小説家の役割は人々が持つ『物語』のモデルを提供すること。読者がそれを読んで共鳴し、呼応することで、魂のネットワークができていく。それが物語の力」とも語った。 























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