普天間飛行場は安全と危険の対立概念で捉える対象ではない。その運営と管理の十分性が問われている。司法においては運営と管理が不十分であるとされている。ただ、その不十分さが米軍側にあるのか市民側にあるのかは応えていない。
★危険
1 あぶないこと。生命や身体の損害、事故・災害などが生じる可能性のあること。また、そのさま。「身に―が迫る」「高所での―な作業」⇔安全。
2 悪い結果を招く可能性があること。また、そのさま。「国際的に孤立する―がある」「―な賭(か)けに出る」
沖縄人や自公政党は危険性という言葉を多用する。危険性とは危険+性だが、まず上記から危険という概念を普天間飛行場にあてはめることはできない。
★性⇔2 物事に備わった性質。「性能/悪性・磁性・属性・惰性・毒性・慢性・優性」
この性の言葉から、日本語における危険性(危険+性)という言葉も普天間飛行場を捉えるには妥当ではない。
★危険性とは「危険のおそれ」を意味する。「失敗する―がある」などと使う。
普天間飛行場は安全と危険の対立概念で捉える対象ではないから、この言葉を使うのは妥当ではない。
★リスク (risk) の定義にはさまざまあるが、一般的には、「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」 と理解されている。日本語ではハザード (hazard) とともに「危険性」などと訳されることもあるが、ハザードは潜在的に危険の原因となりうるものを指し、リスクは実際にそれが起こって現実の危険となる可能性を組み合わせた概念である。ハザードがあるとしてもそれがまず起こりえない場合のリスクは低く、一方確率は低くても起こった場合の結果が甚大であれば、リスクは高い。
『ハザード (hazard) は潜在的に危険の原因となりうるものを指し、リスク (risk) は実際にそれが起こって現実の危険となる可能性を組み合わせた概念である。ハザードがあるとしてもそれがまず起こりえない場合のリスクは低く、一方確率は低くても起こった場合の結果が甚大であれば、リスクは高い』ことから、すべて文明の利器はハザード (hazard) でありリスク (risk)であるといえる。ハザードとリスクという概念を使った場合にしても、普天間飛行場のみを指す概念であるとは言い難い。
★危険性、可能性、蓋然性
危険性 「危険のおそれ」 「失敗する―がある」
可能性
(1)物事の実現する見込み。 「成功の―がある」「―が小さい」「無限の―を秘める」
(2)〔哲〕〔possibility〕物事の現実の在り方(現実性)に対して、できうる(ありうる、考えうる、能うる)在り方。事柄・知識・能力などの、今実際にそうではないが 、そうでありうる範囲・程度のこと。
蓋然性
〔probability〕事象が実現されるか否か、またはその知識の確実性の度合。確からしさ。数学的に定式化されたものを確率と呼ぶ。プロバビリティー。
以前、地元のテレビで地元の大学生たちが普天間飛行場からの米軍機の飛行について、あるひとりが「航空機が墜落する確率は・・・」と可能性で話していたが、それは危険性で語りたがる沖縄人を逆上させるものだろう。それは、ちょうど、福島県民に対して「明日、放射線量を浴びる可能性がある」と言うようなもので「危険性といえ」となるはずである。
また「福島の住民への放射線被爆の危険性を除去する」は福島県民にとっては正しいかも知れないが、国民に対しては「福島の住民への放射線被爆の可能性を除去する」が正しいのではないだろうか。いわば、危険性とは主観に根ざした言葉であり、可能性・蓋然性(プロバビリティー)は客観に根ざした言葉なのではないだろうか。
ここから「普天間飛行場の危険性の除去」とは沖縄県民に対して使う言葉であっても、国民に対して使う言葉ではないはずである。可能性・蓋然性で捉えると「普天間飛行場の運営と管理の可能性・蓋然性」となる。そこから普天間飛行場の移設なのか、それとも住民の集団移転が妥当なのかの結論が導きだされるはずである。しかし自民党は、それを行わなかった。故橋本首相は「はじめに移設ありき」をぶち上げたから、そうした議論は沖縄でも国内でも起こらなかった。