【社説】普天間と首相 沖縄の危機を直視せよ 東京新聞 2013年2月5日
安倍晋三首相が訪問した沖縄県。米軍基地の県内たらい回しや安全性に懸念が残るオスプレイの配備強行に対する県民の反発はかつてなく高まっている。今こそ「沖縄の危機」を直視すべきだ。
首相には再登板後初の沖縄訪問だ。仲井真弘多知事に「(民主党政権の)この三年間に崩れた国と沖縄県民との信頼関係を構築することから始めなくてはいけない」と語りかけ、会談後は記者団に「知事と私との個人的な信頼関係をつくることはできたのではないか」と胸を張った。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「最低でも県外」移設の公約を民主党政権が破り、政府に対する沖縄県民の信頼は地に落ちた。
日米首脳会談を控える首相にとって、県民の信頼回復は、日米間の懸案である普天間返還を進展させるための第一歩なのだろう。
同時に首相は、在日米軍基地の約74%という過重な負担を、経済振興策との引き換えで、やむを得ず受け入れた以前の沖縄県民とは違うことも理解する必要がある。
先月二十七日には、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間配備撤回などを求める反対集会が東京で開かれ、沖縄全四十一市町村から首長ら代表者、県議、沖縄選出国会議員らが集まった。普天間の県内移設断念、オスプレイの配備撤回を求める運動は党派を超え、本土による沖縄差別に抗う県民挙げての闘いになっている。
首相も、こうした沖縄の危機的な政治状況を、ある程度は意識したようだ。今回の訪問では日米が普天間の移設先に合意した名護市辺野古という地名には触れなかった。県民を刺激するのを避ける意図があったのだろう。だが、触れないだけでは意味がない。
日米安全保障条約が日本を含む極東の安全に必要なら、義務である基地負担は日本国民が等しく負うべきである。中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発を受けて、日米同盟強化の声がかまびすしいが、住民の反発が米軍基地を取り囲むような状況で、安保体制が円滑に運用できるだろうか。
仲井真知事を含む県民の多くが反対する中で県内移設を強行しても、暗礁に乗り上げるのは目に見えている。その先にあるのは最も回避すべき普天間の固定化だ。
沖縄の危機を直視し、普天間の県内移設を見直す。難しい外交交渉、国内説得になろうが、その困難な作業をやり遂げてこそ、沖縄を「取り戻す」ことができる。
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普天間返還は日米間の懸案ではなく、日本側の要望だろう。アメリカ側が必要とする限り普天間飛行場ないしは辺野古は必要だが、必要としなければ日本が頼んでも普天間には固執しないはずだ。
政治家の仕事とは有権者から無視されることだ。彼は仕事熱心で、地元に尽くせば尽くすほど有権者から必要のない人になっていく。沖縄の有権者も以前は経済振興策に長けた政治家を求めていたが、それである程度満たされれば、そうした能力を持った政治家は不要になる。だから、在日米軍基地の約74%という過重な負担が経済振興策になってきたのではなく、それに長けた政治家が基地負担の代償を政略にしただけである。今は交付金の一括支給などの戦略があるから、基地負担を持ち出す必要がなくなった。基地負担は政治家も使い道がない。有権者も基地負担=経済振興を持ち出す政治家は不要である。これは以前と変わった沖縄の政治状況であっても、沖縄県民に何か変化が生じたのではない。
沖縄の住民には反発という「念力」があるらしく、その念力が米軍基地を取り囲むような状況では安保体制が円滑に運用できなくなるかも知れないという。滑稽な情況を想像してしまった。
官僚や政治家には70年代に起きた成田闘争のトラウマでもあるのだろうか。どうしても辺野古移設というのであれば、腹をくくればいいだけのことでしかない。
沖縄を取り戻すということが、沖縄の政治や社会をすべて沖縄県民による自治でとすることであるなら、とんでもない話しだ。沖縄人の多くは、自らの精神的基盤を村落共同体に置いている。そうした人たちによる自治ともなれば、それに無関係な人たちにとって、それは地獄の光景でしかない。村落共同体とは自然発生的な人間関係を基礎に置いた自治体である。つまり法に基づく平等を無視しなければ成り立たない共同体である。こうした共同体の外見的特徴は縦軸として長幼序ありの封建的上下関係、横軸として自然発生的な地縁と血縁に基づく若衆制である。そこに法は介入できない。それどことか法は積極的に排除しなければならない。また、地縁や血縁など自然発生的なことから組織論に基づく組織も徹底的に排除しなければならない。そうした秩序からは近代的自治など望むべくもないことになる。地獄そのものである。